2016年12月14日水曜日
出産妊娠に対する権利意識の男女差
アメリカで選挙に受かりたかったら銃規制は絶対に口にしてはいけない。
生まれたときから銃を持つ権利を与えられているアメリカ人にとってそれを取り上げられるのは許せないことらしい。
女性の出産に対する権利意識は極めて強固なのだと感じる。
男性の視点で考えれば不思議で仕方が無い。
男性の場合、子孫を残せるのは競争に勝った者のみであり、自ら獲得するしかない。
ところが女性たちは違うらしい。
通過する意思があれば必ず通過できるチェックポイントとして認識されている。
■下層にいても当たり前に
女性たちはこういう風に思っているに違いない。
「社会のどの地位に存在していても私たちには出産する絶対的な権利がある」と。
男性で自分の遺伝子を残せるのはリソース(資源)をたくさん持った男性のみ。
母体と子を守り育てる。
リソースがなければできない。
リソース獲得には競争に勝つしかない。
地位の低い男性は、自分の子孫を残させて欲しいと国に訴えたりしない。
しかし社会の低いところにいる女性は国に訴える。
出産のために環境を整備してくれ、と。
男性にとって子孫を残すことは獲得するものであり女性にとっては与えられる、与えられた当然の権利として認識されているのかもしれない。
男性の自己責任論からみれば例えば、妊娠中は働けないからお金を持った男性が条件。
というのは妊娠中に働けなくなっても大丈夫な資金を確保して妊娠出産に向かえば良いのではないかと思える。
しかしながら、女性はアウトソーシングを当たり前のように信じている。
男性のお金、国のお金でもって妊娠出産あるいは子育ても乗り切りるのは生まれる前から当たり前に決まっているルールなのだと。
男の金は私のもの。
私の金は私のもの。
男は女にお金を分配して当然。
「社会のどこの層に属していても妊娠出産は当然の権利」
これは母体としての女性特有の権利意識なのかもしれない。
男性の子孫の争いとは違い優しい世界。
まったく素晴らしい事象と思い観察している。
自分の子孫を生み育てるのに男性は自分のリソースが必要だと考えるが女性は自分のリソースは必要ないと考えている。
自らのリソースを差し出さなくても、自らのリソースを貯めていなくても、問題なく与えられた権利なのだから与えられて当然、与えないほうがおかしい。
こうした権利意識あるかぎりは国が本気を出せば少子化など解決の道筋はすぐにたつだろう。
女性を優遇する必要は無いと思うが、母体と育ての親に対しては手厚くサポートする。
その枠に入った女性は母子ともに、とにかく衣食住には困らないと確約する。
この男性の精子が遺伝子的には良いけれど育ての父親にはしたくない。
遺伝子的には惹かれるけれど人間生活の現実の中での父親には向かない。
こうしたタメライも国のサポートがあれば、飛び越えられる。
good geneとgood fatherは同居するとは限らないのだから。
日本では教育費が高い。
自分の子供にちゃんとした教育を受けさせようと考える男性は妊娠させることに抵抗がある。
しかしそれはあくまで男性自身が教育をきちんと受けてきた場合に限る。
教育をきちんとされない男性ほど妊娠に対するコストを軽く見ている。
これは女性側にもいえることかもしれない。
都会の稼ぎで地方にいる中間下位層の妊娠出産子育てをまかなっている。
数だけ増やせればいいのであれば教育の低い地方の下層は若いうちに妊娠しているのだから一応理にかなっている。
2016年12月11日日曜日
父親がアルコール依存症、夫もアルコール依存症。なぜ?
○なぜアルコール依存症に苦労し女性はアルコール依存症の夫を選ぶのか
人間は未知を恐れ、慣れ親しんだことを受け入れる。
その慣れ親しんだことがたとえ悲劇的な結果になるとわかっていても悲劇を予想できるのならそちらを選んでしまう。
未知の選択をしたときに訪れる結果が怖いのだ。
どれだけそれが悲劇的であろうとも「知っているもの」を人は選んでいく。
未知の選択はよりよい未来を運んできてくれるかもしれない。
しかしながら、結果のわかっている、慣れ親しんだ悲劇のほうを人間は選んでしまう。
慣れ親しんだ悲劇は悲劇に対する対処法も一応、心得ている。
どんな悲劇であろうとも予測可能なことに人間は導かれ、そこに安堵する。
良い結果をもたらす未知の選択よりも悲劇をもたらす慣れ親しんだ選択に人間は落ち着いていく。
■知っているから今度こそは
夫がアルコール依存症の妻は、なぜ夫を見限らないのか。
このような妻は
往々にして子ども時代には父がアルコール依存症であったという過去を持つ。
苦しめられた。
だから、酒を飲むような人とは絶対に結婚するまいと誓った。
それなのに、またしてもアルコール依存の男性と家庭を構える。
常識では考えられないが…
ここにコントロール願望といった視点を導入して構図を眺めてみるとどうであろうか。
子ども時代は無力だった。
しかし、今は大人。力をつけた。
だとしたら、過去は抵抗できなかった場面を今度は自分の力で乗り越えてやる!という思いがわきあがっても不思議でない。
辛く悔しい過去であればあるほどに、過去を乗り越えたいという願望は消えてくれない。
過去を再現せずにはいられなくなる。
今度こそ、うまく自分の力でコントロールして見せようことだ。
しかし、結果としては
過去の悪夢の再現に終わってしまうということである。
2016年12月10日土曜日
境界性パーソナリティ障害に狙われるパーソナリティの持ち主
参考文献:
普通に生きられない人たち 磯部潮 河出書房新社
○境界性パーソナリティと相性が良い人たち
■救うのは自分しかない
不思議なことに境界性人格障害の人と面接をしていると
なぜか「彼女を救うのは自分しかない」と考えてしまうことがあります。
いつもは面接で困ったことがあると同僚や先輩の精神科医に相談するような医師であっても
どういうわけかBPDの人との面接過程で
「どうせ周りの医者もわからない」
「自分だけが彼女を救える」などと勝手な解釈をして孤立無援の状況に落ちってしまうことがあるのです。
この不思議な現象はBPDの人との面接のときのみ見られます。
これはBPDの人たちが私達に生起させる現象なのでしょう。
彼らには私たちの人間性の根底を刺激し、
関係性の中に私達のヒューマニズムを喚起し
私達に「自分だけが」というような万能感をも生じさせる何かが備わるって居るのです。
この「なにか」を明確にすることは今の私には難しいのですが、
おそらく、彼らの生身の人間性を剥き出しにした生存様式が私達の日常の生活にはない人間存在の根っこにあるようなものに触れ、人間であるがゆえのヒューマニズムを普段は眠っている意識の底から揺さぶり起こすのではないでしょうか。
■別れることは、この上なく恐ろしい
彼氏に対しても、彼がなにか忠告めいたことを言おうものなら、
「あなたは何も私の事を判っていないくせにえらそうに言わないで」と怒り出すのですが
Fさんが落ち込んでいたりするときに黙っていると
「どうしてあなたは私がこんな風なのに何も言わないの」と今度は責め立てるのです。
第三者的に傍観していると、彼はどうしてFさんと別れずに一緒に居るのか、
自分の人生の大切な時間を浪費しているだけでないかと思ってしまうのですが
とうの彼氏は別れることなど想像などできないのです。
完全にFさんに取り込まれていて、別れることは彼にとって、この上なく恐ろしいことで
意識の端にさえのぼらなくなってしまっているのです。
こうして彼は、自分がFさんにとってなくてはならない人であると刷り込まれてしまっているのです。
このようなFさんと彼氏との関係が典型的な共生関係といえます。
彼は自分がFさんにとってなくてはならない唯一の存在であると刷り込まれているのですが
多くの境界性人格障害の人は、このような共生関係を築いている一方で
共生関係以外の関係性が良好であったりします。
これはしばしば認められることです。
たとえば、Fさんは彼との関係が揺らいでいる、つまり、彼がFさんのことで心底疲れ果てて
エネルギーを吸い取られて仕事もできずにボロボロになっているときほど、Fさんも眠らずに彼を振り回しているので
体力的には落ちているにもかかわらず、
いつにも増して活動的にアルバイトを始めたり、自分の得意なピアノの講師として教えに行ったりするのです。
Fさんと彼はこうような「不安定の中の安定」と呼ばれる共生関係を築いているのです。
この関係は非常に脆く、まるで薄い氷の上を歩いているようなものに見受けられます
彼がきっぱりとFさんとの関係を絶とうとすれば、おそらくFさんはそれこそ自分の身体、生命を賭けて彼に見捨てられることを阻止するでしょう。
リストカットをするのはもちろんのこと、大量に薬を服用したり、ビルの屋上から飛び降りようとしたり
あるときはないてしがみついたり、あなたを殺して私も死ぬといって包丁を突きつけたりするのです。
これでは結局、彼はFさんと別れることはできず、まさに「見捨てられるず」もとの鞘に
収まってしまうしかないのです。
その一方で、
BPDの人は彼の代わりに共生関係を築ける人に、常にアンテナを張り巡らしてもいるのです。
それはBPDの人を取り巻く全ての人に対して行っていますが
その相手は限定されていて、お眼鏡にかなう人間でなくてはいけません。
その人間とは、同じ境界性人格障害の人であってはとても共生関係は築けないのですが
ある程度は境界性というべき辺縁性を持っている、あるいは理解できる人間でなくてはならないのです。
だから、その相手が精神科医である場合もしばしば見られます。
■コントロールされる喜び
他人にコントロールされるということは
自由や自主性を否定されることにつうじるのだから
あまり嬉しいことではない、はず。
ところが実際には必ずしもそうではない。
恋愛関係に陥ったばかりの若い二人にとってはコントロール願望の存在は
相手への関心の深さを示唆するものに他ならずつまり愛の証明として認知される。
■期待は出来ないが成長を待つ
最終的には時間に解決してもらうことになる。
でも時間にゆだねることが往々にして無責任ととられてしまう。
例えばパーソナリティ障害というのは基本的には完治しません。
では精神科医は何をしているのかと言うと患者が歳をとるのを待つ。
世の中のスタンダートを示しながら時間を稼いでいくのが正しいやり方。
■以下http://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/2008/05/post_3fde.htmlより引用
このボーダーラインの診断基準をマニュアルで調べてみると、かなりよく宗佑に
当てはまるのだ。「見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力」、
「自己を傷つける可能性のある衝動」的な「性行為」、「自殺の・・・脅し、または
自傷行為」、「感情不安定性」、「不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困
難」。ボーダーラインは、女性が4分の3を占めると言われてる疾患だけど、残
り4分の1は男性だから、宗佑がそうであっても不思議はない。DVは、境界性
パーソナリティー障害の一つの症状、現れってことだ。
このボーダーラインについて、約670ページにもわたる詳細な『精神医学ハンド
ブック』(創元社,1998)を見ると、日本を代表する精神分析家・小此木啓吾が興
味深い項目を執筆していた。「ボーダーライン・カップル」。どちらか一方がボー
ダーラインのカップルの事で、もう一方が自己愛パーソナリティー障害の場合に
は、一定の安定した関係性が継続されることがあるらしい。つまり、自己愛人間
はボーダーラインを支えることで、自己をより良く愛せる。また、カップルが一体
化することで、強い自己愛が相手への愛にもなりうるわけだ。ただし、その安定
状態へ第三者の妨害があると、一気に関係が崩壊してしまうこともあるとの事。
どうだろう。余りにもピッタリ当てはまると思わないだろうか。ボーダーラインの
宗佑と自己愛人間の美知留がそれなりに上手くやってるところへ、瑠可の妨害
が入ったために一気に崩壊してしまった。こう考えると、ドラマともウチの主張と
も合ってるし、「被害者」宗佑の今回の怒りもそれなりに理解できるだろう。
「何でこんなになっちゃったんだ。こんなにした奴が憎いよ。ただじゃおかない」。。
■以下http://victim-of-bpd.hatenablog.jp/entry/2014/06/18/015249より引用
被害に遭いやすいのは、他人と自分の線引きが苦手な人です。
私のことと相手のことを区別ができない、これはボダにとって、とてもつけいりやすいのです。
ボダは、以前の記事で書いたように、依存を望みます。ボダ自身が依存することに加えて、被害者がボダに依存することも望みます。
ですから、私は私、あなたはあなた、という線引きがしっかりできている人は、ボダから見ればガードが固いのです。
もう少し具体的に書きます。
線引きが苦手な人とはどのような人でしょうか。
ひとつは、押しに弱いタイプの人です。周囲に流されやすい、或いは他人からの頼まれごとを断りにくい、もしくは自分の都合より他人の都合をつい優先させてしまう。受動的で、自分の感情を必要な時にも強く主張できない。
このタイプの人は、ボダにとってとても扱いやすく、操りやすいです。
ボダは自己の欲求を満たすためにはなりふり構わないので、あっという間に流されて捕らわれます。
このタイプの人は、自己をしっかりと確保することを意識しなくてはいけません。
相手に都合が悪くても、自分が我慢して凌ぐようなことをしてはいけません。
人間関係は、常に融通のしあいです。片方だけが融通をつけ続ける関係は、健全ではありません。これ以上は自分に無理が出る、そういうラインをしっかりと作り、守ることから始めましょう。
もうひとつは、奉仕精神の豊かな、その上、自分の力で他者を助けることが好きな人です。
困っている人を見たら積極的に手をさしのべ、寄り添い、助力を尽くし、他者の困難を解決することに厭わない人です。
このタイプの人にとって、ボダは解決すべき困難を多く抱えた宝箱です。ボダにとっては、労せず得られる良いサンドバッグです。
2016年11月10日木曜日
トランプ氏が当選した理由は【政治の見える化】をしてくれそうだから
2016年は変化の年だ。
Brexitとトランプ氏。
日本で言えば小池都知事とSMAP解散。
まあスマップは冗談にしても。
トランプ氏が当選した理由は「インターネットによる錯覚」の成熟に端を発していると思う。
■インターネットによる情報獲得に対する強い権利意識
インターネット、もとよりSNS文化の成熟によって、私たちは物事の裏側を知ることができるようになった。
いや、本当は裏側など知ることは出来ないのだが、できるようになったと勘違いしている。
だからこそ、旧来型の【見せない政治】にうんざりしている人たちがたくさんいる。
インターネットによって様々な事象の様々な裏側を知る権利があると錯覚しきった投票民は小池都知事あるいはトランプ氏が「政治の見える化」をしてくれることを期待しているのだと推測する。
とはいえ実際には民衆には出せない情報は、今までどおり出せないことも現実ではある。
政治の世界では表に出てこない、出来ない事象がたくさんある。
ある程度の学歴、収入、立場がある人たちは、そのことを理解しているだろう。
政治であれ会社であれ、ふさわしく無い相手には出せる情報と出せない情報がある。
ただトランプ支持といわれる労働者階級の中でも低頭脳の情報が降りてこない人たちは、そういうことに嫌気がさしている。
インターネットの発達する以前は社会的地位があがらないと得られない情報がたくさんあった。
そして、いまも挙がらないと手に入らない情報は昔とそう変わらない。
しかしながらネットによる勘違いが起きている。
低頭脳で社会的地位の低い人でもインターネットを使えば、裏側まで知ることが出来ると錯覚している。
SMAPもジャーニーズ事務所もバーニングもLDHも自民党ブラックボックスも東京オリンピック予算も、そうだ。
インターネットとSNSによって身分に関係なく裏側を知る権利があると現代人は錯覚している。
嘘をつかずに「裏側を見える化」してくれそうなリーダー。
小池都知事、ドゥテルテ大統領、そしてトランプ氏。
格差が広がり下層人が増えても1人1票が守られれば、組織の論理にメリットを感じない層に刺さる、これらのリーダーが求められるのは必然であるといえる。
IT長者みたいな人たちがトランプを支持したのも東浩紀氏の言葉を借りれば彼らが「無媒介の人」だからだろう。
組織の中のごちゃごちゃした情報統制にうんざりしている。
インターネットで直接情報をおろしてくれよ、と。
大手メディアの人たちが「分断が起きている」などというテーマでトランプ氏勝利を報道するのは、彼らはインターネットで直接、民衆に情報が降りてもらうと困る側にいるからだ。
弱者の情報に対する権利意識の強まりを大手メディアに籍を置いていれば気づけるはずも無い。
負け組みの多数そして勝ち組の中にも、組織あるいは政治に対して【インターネットがあるのに、何をゴチャゴチャ情報統制しているの?俺たちにも裏側、見せてください】と考えるのがインターネット成熟時代の民主主義の現実なのでは無いだろうか。
インターネットは誰にでも「物事の裏側を知る権利がある(という錯覚)」を植えつけた。
政治に対しても、それを望んでおり、それを与えてくれそうなリーダーが選ばれる。
この傾向を色濃くしたのは2016年だったのではないだろうか。
2016年2月3日水曜日
清原さん逮捕について思うこと
■清原さんをたしなめることができるのは法律しかなかった
彼は逮捕されてうれしかったのかもしれない。
嬉しいというよりホッとした。
逮捕されたくらいで抜け出せるものでは無いだろうが、とりえあず流れをせき止めてくれるストッパーが現れてくれて安堵しているのではないだろうか。
絶対つかまりたくないけれど早く捕まえてに来て欲しい。
助けに来て欲しい。
そんな期待もあったのかもしれない。
孤高で孤独なスーパースター。
彼を本気で理解し、本気で彼にぶつかれる人は誰もいないのだろう。
法だけが彼をたしなめることができ、構ってあげられるのは法しかなかった。
法の後押しで癒されますように。
2016年1月9日土曜日
「何でも話せる相手」など社会に存在しない
■ひとりに全てを求めるからおかしいことになる
熊谷晋一郎さんは、自立とは「依存先の数を増やすことです」
レイヤー社会。
お金の相手、趣味の相手、仕事の相手、軽い相手、深い相手、恋愛の相手、結婚の相手、セックスの相手、遊びの相手、
トピックごとに付き合う相手を分散する。
何でも話せて、すべてを受け止めてくれる存在など社会にはいない。
子供の頃の愛情不足が深い人ほど、すべてのトピックを満たしてくれる相手を求めてしまうが、現実の社会にそんな人はいないからやんでいく。
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