2015年4月24日金曜日

緊張して欲しい病

 


■年下が緊張していると安心する年上



大人は子ども(青年)に緊張して欲しいのではないかと思う。
年下の奴らが緊張を覚えることで、大人はある種、己の大人としての権威みたいなものを確認でき、自己肯定感を充足しているのだと思う。


愚かな生き物だ。
もっとほかの、自分自身の達成によって充足させればいいのに。



テレビのインタビュー。
「いまの子たちはカメラの前でも物怖じしないで堂々としていますよね」

企業の新入社員。
「部長の前でも堂々として居られるなんてすごいな」

スポーツ選手のルーキー。
「ルーキーなら緊張して良い場面なんですけど、堂々としていますね」

…年下が堂々としていると、大人たちは面白くないらしい。





大人たちと付き合うとき、バカを演じる努力って恐らく一生続いていくのだと思う。

2015年4月22日水曜日

寂しさを感じにくい人ほど激しい寂しさに襲われる。(仮)



>>
久々の休みをどう過ごすか?
回答は、「1人で過ごす」or「友人と過ごす」のどちらか。

こちらは、法律評論家・堀井亜生先生の質問です。
寂しがり屋の人は、誰かにかまって欲しくて嘘をつく傾向にあります。他人とコミュニケーションをとりたいがために嘘をつく可能性があるということですね。
上記の質問に則して言えば、「友人と過ごす」を選んだ人は、嘘をつきやすい傾向にあると言えます。コミュニケーションを円滑にするために、会話をおもしろくしようとお話を盛ったり、本心と違ったことを言う傾向にあるんだとか。
<<
http://aguri.blog.jp/1023307704



■寂しさがり=人間関係の摩擦の中にいたい


寂しさを感じない。
寂しさがあると嘘を付いて相手との摩擦を起こそうとする。
寂しがりではないから、他人には興味ない。
他人と摩擦を起こしたくない。
摩擦は快でも深いでも関係ない。
摩擦が起こっているか中にあることが寂しさを紛らわせる時間。

本当は研究職のようなものが向いているはず。
しかし、そこまでの学力と知識がない。
残念な人生だ。


寂しさを感じないからこそ寂しさ=人との深いつながりが薄い人生になっているのだと思う。

寂しがりだから寂しいのかと思っていた。