2014年10月27日月曜日

反抗期がなかった理由(編集中)


 

◇心の病は第二の反抗期


親をコピーした存在から脱皮(自立)。
それが反抗期。
その反抗期を迎えられない、あるいは反抗期で脱ぎきれなかった親から受け継いだ価値観を脱がせる。
そのために心の病は現われる。






 

■反抗期に反抗する相手の不在


壁になる人物の存在。
子の反抗(成長)をスルーする親。
向き合わない親の存在。

どんなに強い反対でも良い。
自分にしたがわせようとする親でも良い。
子どもの反抗に対して何かリアクションを起こしてあげることが大事。
暴力でも良い。
お弁当を作らないでも良い。
反抗期は親と子がお互いに自分の正しさを主張しあって良い。

子は親を取り込んで思春期まで来た。
いわば親のコピー体。
そのコピーに耐えられなくなる。
ヤドカリのように自分の価値観にあった殻が欲しくなる。
親から受け継いだ殻はもう脱ぎたい。

そういう作業。
しかし、親も自分を否定されることに拒絶反応が起こる。
従順で、まるで自分の分身のように思っていた子供が自分を否定してくる。
それは簡単には受け入れられない。





子ども→
親←


→←←
→→←

力関係がどうあれ、衝突していることが大事。






  ←


→→


こういう状態では正しい反抗期(脱皮)を送れない。

 

心の病は反抗期の変わりに訪れる。
あるいは反抗期に足りなかった反抗(親の価値観からの脱出)を促進するために現われてくれる







親が発達障害を抱えていた場合も壁にはなれない。
反発しないのでベクトルがぶつかっている感覚を得られない。

そうした場合の意味においても、
壁になれない親の元で育った場合にもやはり適切な反抗期を送ることは難しくなるだろう。











■強固な壁でなければ子どもはぶつかっていけない

壁になれないor壁になりたくない親が増えている。
壁になれないのは子どもの心(価値観、感情)に関心が無いから。
療育が衣食住で済むと勘違いしているパターンが多い。

壁になりたくない親は幼い。
自分が子どもから嫌われたくない、だからご機嫌を窺う。
壁になれない。子供が安心して反抗できない。

親にはやるべきことがある。
たとえ自分が嫌われようとも悪役になろうともやらなければならない役割がある。
自分の事に視点が向いている大人は精神的に幼い。
自分の事が気になるから「嫌われたくない」という思いが先行する。

子ども(相手)の視点を優先できる精神性が備わっていれば、
自分が嫌われようとも子どもの成長に欠かせない反抗期、しっかりと壁になってあげようと覚悟できるはずだ。













ただ、このごろの若い人たちは親と異常に仲がいいんですよ。あれも気持ち悪い現象ですよね。反抗期がなく親子の距離が近いまま大人になってしまうと、より複雑になるんです。昔は子どもに反抗期が来て、その時期に親離れが済む。そして、自分が一緒に生きていきたい人を選ぶという感じだったのが、今では結婚相手すら親の意見に左右される。それはこれからの心配なところですよね。
http://www.cyzo.com/2014/10/post_19151.html


反抗期のない子供時を過ごすと、
自分を持っていない大人へと成長します。
まず、反抗期とは中学生あたりに生じる現象です。
そして、自分を持っていないとは
自分の意見がない、チャレンジする勇気や行動が取れない
また、自己責任を取ることへの恐れが強い等です。
アダルトチルドレンは反抗期がなかった方もけっこうおら
れます。
それはアダルトチルドレンの親子関係を考えれば理解出来
ます。
なぜなら、親が子供を抑圧支配しているからです。
親の子供に対する抑圧支配が強すぎると子供は親に反抗
出来ません。
いや、それ以上に反抗期以前に、親のすさまじい抑えつけ
により
親に自分を表現する力すら奪われてしまったかもしれません。
反抗期とは親の立場から子供を見た言い方です。
すなわち子供が自分達の言うことを聞かなくなったという
ことです。
しかし、子供は親を超えて、自分を培っていくものです。
したがって反抗期とは、子供の立場からすると
自立期なのです。
ですから反抗期は、自分を持った大人になるためには
必須の経験なのです。
https://www.facebook.com/permalink.php?id=285545461501148&story_fbid=452527411469618













>>
◎反抗期の激しさは、親が教えた「心の矛盾」に比例する

子どもはお母さんが大好きだ。
だから、子どもはいつも親の事を気にして生きている。
お母さんは元気?お父さんは機嫌がいい?
そして自分は親の役に立っているだろうか
親に必要とされているだろうか、と。
子どもにとって親は、
「この世界」で自分を守ってくれる唯一の存在である。
だから、大事にしたい、何でもいいから役に立ちたい。
笑顔を返す。
12才ころまでは
子どもは無心で親を真似て、生き方を学び、それにしたがっていく。
親を信じて疑わない。
すべては親が基準である。
それはやがて大人になって生きていくときの大切な心の基盤になる。
しかし、親も完璧な人間ではないから
気持ちの偏りや悪い心、嘘、辛い気持ち、間違った生き方を抱えている。
子どもはそういった親の「心の矛盾」もまた、無心にまるごとコピーする。
であるから、
もしも親の「心の矛盾」が大きいと
それを取り込んだ子どもは親と同じ苦しみを生きる。
しかし、苦しみを定着させてしまって耐えることに自分を麻痺させてしまった親と違って
子供は辛い生き方を辛いと感じる。だから、別の生き方を手に入れようとする。自分をいったん、壊す。
その過程で心の病が発生する。
もちろん、子どもは無理なことを教えられているとは気づかずに
それに従う。
彼らは親を信じているし
親に教えてもらった生き方以外はありえないからだ。
自分が我慢していることすら感じない。
だから、学童期に彼らが倒れてしまうことは無い。
例外的に、あまりにもストレスが大きく耐えられなくなると
それが身体のサインとしてでるのが
チック、ゆびしゃぶり、抜毛、慢性的な腰痛などである。
抱えこんだ心の矛盾は、しかし、
次の思春期になって爆発する



■親のツライ生き方が子を苦しめる
親からツライ生き方を引き継いでいると、自立は簡単には進まず
時に混乱し、心の病になる可能性もある。

例えば、両親の仲が悪くて母親が苦労していたとする。
子どもはいつも母親の心配をし
我慢だけの生き方を引き継ぐ。
すると子どもは新しい世界へ進みたい気持ちと
親のためにもっと我慢すべきだとの気持ちがぶつかりあう。
子は悩み、自分を責め、育ってきた家庭をうらむだろう。
また、父親から厳しくされて自分を押さえ込んできた子がいるとする。
不満が鬱積したままだと、やはり自立は難しい。
今までの我慢を晴らしたいが
一方では我慢が足りない自分を責め、
そういう生き方をさせた親に怒りが向かう。

■親の生き方に修正を迫る思春期の「心の病」

思春期のつまずきは
親からの自立を遂げられない苦しみである。
親が抱えていた心の矛盾が大きければ大きいほど、
子の我慢は大きく、自立には時間と労力を要する。
苦しい生き方を強いられた子は
思春期になって苦しみを訴え、
生き方を変えたい、助けて欲しいと親に迫る。
しかし、多くの親はその訴えを理解しない。
なぜなら、親は長い間続けてきた自分の生き方に
疑問を持っていないので
子どもが何を訴えているのか見当がつかないのだ。
子どもが「辛い」と訴えれば
親は自分の人生観から
「あなたは我慢が足りない」としか応えられない。
親から見ると、子どもはただ「わがままをいい、親に甘えて」自立していないように映る。
親は「そんな子に育てた覚えは無い」とイライラし
子どもは「親がいけないんだ」と言い返し、
親子対立は激しくなる。
子どもはわかってもらえない…と落胆し、
怒りの気持ちをどこに持っていったら良いか
わからなくなる。
そうして、彼らは最後の手段に訴える。
そう、それが「心の病」である。

一連の精神疾患、およびその症状的行動(リスカ、うつ、過食など)は
親から引き継いだ「心の矛盾」が子の中に生み出した「病」である。
と同時に、
教わってきた生き方を
修正するために子どもたちが
始めた抗議行動であり、
親子関係をみなすために
とったぎりぎりの手段である。

ここまでしないと、親は訴えを聞いてくれない。
振り向いてくれない。
子の苦しみは
親から受け継いだ苦しみである。
だから、親の苦しみでもある。
十数年間、無心に親に従ってきた子は
心の深いところで
親と一緒に治りたいと願う。
親が生き方を修正して親自身の苦しささえ取ってくれなければ
自分の苦しみも取れない、
と知っている

思春期は子どもにとって人生最大の危機ではあるが
それは同時に親子関係の危機でもある。
しかし、その危機を脱する過程で
子どもだけでなく、親も替わる好機がおとずれる。
<<
子は親を救うために「心の病」になる 高橋和己 筑摩書房






親子心理評論家:山崎雅保によると
●青年期に引きこもるのは反抗期がない子供が多い

反抗期がない男子は結婚しても上手くいかない傾向がある

結婚=親を裏切る行為→親と仲良しだと裏切れない

●2、3歳のイヤイヤの受け入れが反抗期と関係している

2~3歳の第1次反抗期は母親に最初に反抗する時期

反抗しても良いという事を分からせる事を、親も受け入れる事が大切
http://honmadekkatv.myblogs.jp/2013/11/13/%E9%9D%92%E5%B9%B4%E6%9C%9F%E3%81%AB%E5%BC%95%E3%81%8D%E3%81%93%E3%82%82%E3%82%8B/



反抗→自分を表現してもよい→自分の意見があってよい→親と違う自分(価値観、感受性、意見)があっても良い












>>
仲良し親子がいっぱいです。
親の言うことに逆らわないって、いいこと?
いつも、親の言う通り。
言いつけを守って、きちんと暮らしている。
挨拶もちゃんとできて、勉強だってまじめにやる。
お友達とけんかはしないし、人に優しくします。
でも
ほんとうに「自分にとって大事なことがわからない」
「親の意向と違う進路を選べない」
「親が思うようにしか、生きられない」
のが、25歳、30歳だったらどうします?
でも
ずっと実家にいてくれたらそれがいい。
それが幸せ。
死ぬまで子どもを側に置いて、ずっと自分の思うようにしていたら幸せ??
まさか、そんなこと思うわけない?

いえ、そういうことが冗談じゃないほどあります。
うちの子は反抗期がなかった
・・・それはいいことじゃありませんよ。
子どもは、自我が目覚めて、親と自分の考えの違いに気がつき、自分を形作っていくために親へ反発をし始める。それは「正しい成長プロセス」。
親には、ついこの間までなんでも話してくれて、かわいくて、甘えん坊だった我が子が、突然わけのわからない生き物になる「楽しくはない時期」ですが(苦笑)。
このとき、子どもを頭ごなしに押し付ける力強い親でも
子どものいいなりになる弱腰(または、子どもにすりよるだけの)親でも
反抗期は起こらなくなるかもしれませんけど
子どもは、精神的に親を殺して、一人前になっていくのだと言われています。
少し距離を置くのだなという合図なんだと思います。
<<
http://ameblo.jp/juno-career/entry-11770615121.html





反抗期が無い→反抗(反対・抵抗)は許されないと学習。自我の目栄えを摘み取られる→反抗してはいけない→相手をガッカリさせてはいけない→相手を過度に尊重し自分をナイガシロ→自分の意見、感情を持ってはいけない→断ること(相手を否定すること)=悪→防御力が非常に低い→言い人と言われていつかは苦しみが蓄積













13 名無しさん@おーぷん :2014/11/03(月)13:33:45 ID:MPvBRzITb
親は幼少の頃から俺に対して
使えない
使えないな
役立たず
 と手伝いをしてても叱ることが多かった

15 船に乗れなかった船乗り[ ] :2014/11/03(月)13:34:26 ID:C14M57lJg
>>13
こりゃ性格歪むわ

20 名無しさん@おーぷん :2014/11/03(月)13:42:23 ID:MPvBRzITb
行き過ぎた人に迷惑をかけるなも多かった
授業参観とか家庭訪問とか
 お前のために時間を割いて準備をするんだから、お母さん、この日にこういうのがあるから、時間を空けてくださいでしょ?迷惑をかけてるって自覚ある?
ってのとか、事あるごとにお願いをすると
迷惑をかけるな、迷惑をかけるなと怒られ続けた
http://alfalfalfa.com/archives/7619816.html

2014年10月26日日曜日

なぜEXILEは総選挙を行わないのか(編集中)





AKB48は皆 同じ歌を歌い 同じ振付で踊ります。違うのはポジションだけ
それに対してEXILE ボーカルと ダンスパフォーマーは分かれています。
http://blog.livedoor.jp/ksisite008/archives/1976361.html

テクニカルな理由は納得できる。
ジェンダー論として遊んでみたい。



結論としては→


「男性は自分たちの順位(序列)を自分たちで付けたい。
 外部から順位付けされるとマズいことが起こる」。














男性は自分で決めたい。

男性は自分たちで序列を決められる。
外から決めて欲しくない。


ヤクザの世界。
すべて内部の評価によって決まる。


男性社会と言えば一昔前の日本の多くの会社組織。

年功序列。終身雇用。
これらは男性にこそマッチしていた。



日本でも社外取締役の人数が法的に定められる雰囲気がある。
内部の順位によって自分たちで序列付けをしてきた男性的組織運営の崩壊を予感される。

外の風が入ることで男性による男性だけの集団は終わる。






たとえば、もし
「TAKAHIROさんがATUSHIさんより人気がある」という結果が数値で示されたとき、
EXILEの内部に良い影響があるとは思えない。

基本的に年功序列やキャリアを重んじる男性の集団において、
外部からの評価はむしろその集団の団結を削ぐことになりかねないと思う。





接待ゴルフあるいは社内コンペで誰が最も良いスコアでなければいけないか。
地位の下の者がスコアという客観的な序列で地位の上の者を上回ったらどうなるのか。
そういうことが起きたら誰が得をするのか。












女性=選ばれる性
選ばれた結果(選挙の結果)を受け入れることが出来る。

男性はそうはいかない。
年功序列。
年上の人が負けてしまった場合、年下の人のほうがむしろ辛い。
年上の人とどういう接し方をすればいいか分からない。
ジャニーズの総選挙でお年を召した昔のアイドルが今のアイドルに負けたらどうなるか。
今のアイドルはどうすればいいのか。




女性=若さは武器
男性=若さは弱点
卒業があるのは女性グループだけ。
脱退不祥事における卒業は男性グループにもあるが
未来のために卒業するのはほぼ女性グループのみ。→若い子は次々に生まれてくるから。




時間は男性の味方。




時の洗礼というのは、努力し続ける男の味方であり、女の敵なんですよね。
週刊金融日記(藤沢数希)
https://twitter.com/saying_massage/status/434888294082424832







・「自己定義欲求」は世界的に女性より男性が強い傾向がある
・女性は「占い」を好む⇒他人に定義されたい欲求が強い
    男性は人から決められる事に反発を感じる為、占いを好まない
・女性⇒口コミやトレンドの店を好む
    男性⇒自分が発掘した穴場の店を好む
http://shinzui.blog75.fc2.com/blog-entry-502.html




組織に居続けることにはしばしば多くのストレスが伴いますが、その中で頑張り続ければ、組織は(あらかじめデザインされた)目標に向かって努力する体験、挫折体験、成功体験を提供してくれます。自分の存在を認めてくれる人も周りにたくさんいますし、学年が上がれば自分が威張れる対象である下級生も入ってきます。今までの生活の中で、成功体験や他人に認められる経験、敬われる立場になる体験を渇望していた人にとって、この体験は強烈なものではないでしょうか。体育会系の組織は、個人では輝けない人、他の場所では輝けない人でも、きちんと耐え続ければ「辞めていく人もたくさんいるのに頑張っている自分」「下級生より偉い自分」「志を同じくする仲間がたくさんいる自分」「大会に勝ったチームの一員である自分」という自己肯定を得られる仕組みになっているのです。
http://d.hatena.ne.jp/kanedo/20100617/1276777583









 女性のと言うよりも、少女のと言った方がいいのかもしれないが、女性アイドルグループには、この卒業という行為がつきものである。それに対して、男性アイドルグループには基本的にそれがない。

男性アイドルグループと言えば、その代表はジャニーズのSMAPであり、TOKIOであり、今人気絶頂の嵐である。SMAPでは、かつてメンバーが一人脱退するということがあったが、それは卒業という形ではとらえられなかった。
SMAPの結成は、1988年のことで、すでにその歴史は24年に及んでいる。メンバーの年齢も皆30代後半で、中居と木村の場合には、今年40歳になる。それぞれのメンバーは、一本立ちできる実力を備えているにもかかわらず、グループを卒業していくことはない。それは、他の男性アイドルグループにも当てはまる。
 男性アイドルグループでは、解散ということも考えにくい。グループとしてある程度の歴史を重ね、一人一人のメンバーが個人として活躍できるようになっていれば、あえて解散の必要もない。むしろ、グループが維持されていれば、テレビのレギュラー番組も続き、グループの基盤は安定する。
 女性アイドルグループは、そもそも、それほどの永続性をもたない。一時期は高い人気を誇っても、どこかの時点で解散し、消滅していく。
http://agora-web.jp/archives/1443126.html






心は成長しない。



人間の心は、大人になっても成長しない。
心は10歳前後で成長が止まる。

10歳前後までに、どうやって心を”育てて”もらえるか。

自分で心を育てることは残念ながら、出来ない。
悩みや葛藤を溢れ出さずに注ぎ込める容量を持てるかどうかは、
心を育ててもらえるかどうかに掛かっている。








器(心)の中で処理しきれなくなったものが身体の症状(痛み)として出てくる。


症状がでるということは、【人生の苦しみ】を症状、という形に変えている。カウンセリングをすることは、症状の苦しみを【人生の苦しみ】に戻すことになる。よく誤解されがちだが、カウンセリングを受ければ幸せになれるというものではなく、【カウンセリングは人生の苦しみを突きつけるものである】。
カウンセリングとは悩みを消し去る手段ではない。カウンセリングを通して自分の心の声を聞き、それによって解決へとつながっていくのである




では、心の器はどのようにして個人差が出来上がるのか。
悩みや葛藤は誰もが抱き、誰もがもがき苦しむ。
「人間は生という病気にかかっているのだから、生きていることは辛いに決まっている」みたいなことを昔の人は言っていたが、心の器の中で対処出来てしまう人と、器から漏れ出して身体にも処理を頼むことになる人の差はどこにあるのだろか。




器は10歳くらいまでに完成する。
自己肯定感、共感で構築される。
何もできない自分でも認められる年齢を過ぎてから、器の大きさのプラスになる自己肯定感が育つことは無い。

大人になってからできることは器に入る痛みを和らげること。(NLP、リフレーミング、物事の受け止め方を改善、対人関係療法など)
痛みを解放してあげる(趣味、カウンセリング、良い人間関係)


人間は成長していくにつれて技術を身につけることは出来る。
つまり、入ってくる痛みを技術によって軽減すると言う対処法を身に付けることは可能である。
しかしながら、心の器の大きさ≒自己肯定感は、成長することは無い。
10歳前後で確実にとまる。(自己肯定感については諸説あって2歳まで3歳までとか6歳までとか、いろいろ読んだ。個人的には小学校4年生くらいまでは社会的成功を意識せずに生きていけると思っているので10歳前後まで可能だと結論付けた。テストの点数がいいとかカケッコが早いとかいうことを自己肯定感のプラスに出来るのはこのあたりまででは)
10歳前後からの社会的な成功によって得られた自己肯定感は心の器には寄与することはない。


「私は愛される存在なんだ」「私は愛されない存在なんだ」という前提条件の持ちようで世界は大きく変わっていき、人間関係も大きく変わっていく
そして、そのどちらに進むかは、10歳前後までに決まる。
このときまでに染み付いた「私は愛される存在なんだ」という感覚は死ぬまで続いていく。
「愛される存在」として他人とあるいは自分自身と接することになる。
もちろん、染み付いた「愛されない存在」という感覚も死ぬまで続いていく
この「愛されない存在としての自分」は社会的な成功によって、富や名声を得て、周りに人が溢れるようになって友達や恋人ができたところで、「愛されない存在としての自分」という感覚は「今の自分は愛される存在だからこそ回りにたくさんの人がいるんだ」とはならない。
10歳を過ぎた後にどれだけプラス材料を整えようとも、「根本的な自己肯定感=愛される存在か否か」には寄与しない。










>>
幼少期からの自己と他者とのずれ、その個人の生来の主張とも言うべきものと他者のそれとの
ズレであり、それはどんな個人においても他者との間に存在しているものである。
むしろ、そのようなズレをも含んだ両者の作り出す関係性から、自己感覚と他者感覚が織り成され、
その個人の生きる能動性が生み出されていくものと筆者は考える。
しかし、そのズレが大きすぎる場合、
あるいは一方もしくは双方がそのズレから生じる情緒(空虚感・無力感や怒り)に
耐えられない場合に混乱を来たし、時にはどちらかを抹消せざるをえないことにもなる。
つまり、自己と他者のズレは無力感・空虚感や怒りの情緒を生むが、
それらの情緒が双方の間に共有され抱え込まれるのならば
両者の関係性は生産的なものとなり、自己感覚や他者感覚を織り成し、能動的に生きていくエネルギー源になる。
しかし、情緒が双方を圧倒するのならば、
関係性は破滅的なものとなってしまい、お互いのズレを認知しながらも
自己感覚や他者感覚を育み、生きていく培地とはならないのである。
その結果、その個人が持っているであろう情緒を実感し言葉に表現することができず、
自己ならびに他者を見失ったまま、あるいは殺したまま受動的に生きていかねばならなくなる。
このように、自己と他者とのズレを認知し、それをめぐる情緒が個人の内のものとして
実感し言葉にできるかどうか、つまり、情緒を抱える”器”(capacity)としての
自我機能が自己と他者との関係性(情緒的コミュニケーション)の中で
その個人に育まれており、自己感覚や他者感覚が形成され、
自己の能動性が持てているかどうかによって、
精神病ーパーソナリティ障害ー神経症(健常)のスペクトラムを見、
パーソナリティ障害を捉えることができるのではないかと筆者は考えるのである。
<<
(パーソナリティ障害の精神分析的アプローチ 松木邦裕・福井敏  金剛出版)

2014年10月17日金曜日

「誰でもよかった」という照れ隠し


 

◇誰でも良かった=特定の相手に自身が認めたくない執着心を抱いていた



埼玉県入間市の路上で15日夜、女子大学生が刃物で刺し殺される事件があり、県警捜査1課などは16日未明に出頭してきた同市豊岡5の私立大2年生、沼田雄介容疑者(20)を殺人容疑で緊急逮捕した。「誰でもよかった」「(女子大生のアルバイト先の)コンビニから後をつけた」などと供述しており、同課は経緯を調べている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141016-00000035-mai-soci





■「誰でもよかった」=「その人でないといけない」



今回の事は、心理的な幼さが招いた悲劇なのではないかと推測した。
殺人を犯した彼は「好意(感情)の発露方法」が分からなかったのだと思う。


抱いてしまった好意をどうすればいいのかわからなくなった。

幼稚園児や小学生、中学生くらいまでなら行為がある相手にイタズラをする。
そういうレベルの「好意を持っている自分へのどうにもならないもどかしさ」を通過せずに20歳まで来てしまったのではないだろうか。





「誰でもよかった」は「その人ではないといけない」と同義だ。
すなわち、彼は彼女が好きだったのだ。
誰でもよかった、というのは好意的にみれば照れ隠しなのだ。
自分の中にある好意を認めなくない。
認めてしまえば叶わない好意であることを理解できてしまう。
そのときに心を守るために「誰でもよかった」という方便が彼の心をかろうじて守ったのではないだろうか。







自分の中にある感情に自分で名前を付けれない。
自分の中に渦巻いている感情の出所はどこにあるか、何に起因しているのか推し量れない。
そして、感情の処理の仕方が分からない。




好意を伝えられないもどかしさ
好意を持っている自分へのもどかしさ
幸せそうな人への妬み
輝いている人への妬み
自分に向けられない笑顔への怒り
好きな人が幸せそうにみえると感じる怒り



…推測の域を出ないが、このような種類の「好意を持っている自分への恥ずかしさの噴出」が
最悪の形として現われてのではないだろうか。







未熟な心の成長度
感情処理の経験に欠しい
漠然とした自分の人生への恨み。

そうしたものが絡み合っていたのかもしれない。




近年の「誰でもよかった」といえば本当に誰でも良いケースが多かった印象がある。
しかしながら今回の事は知りえる情報を総合して考えてみると「特定の人物」「計画的かつ衝動的」だといえると思う。



人の思いは直接伝えなければ伝わらない。
ある人と仲良くなりたければ、それなりの戦略と礼儀そして拒絶されるリスクを考える。
人生にはどんなに願っても自分の思い通りにならないこともある。
自分に振り向いてくれない人がいる。



こんな時代だからこそ「失敗」「(社会からの)拒絶」はなるべく幼いうちに経験しておくべきなのだと思わせてくれた事象だった。













あとは、まあ彼の食生活が気になるかな。
現在の体系は不明だが卒業アルバムを見る限り少し肥満美味の印象。

低血糖症由来の衝動的な行動だとしたら残念だ。