2013年6月14日金曜日

女性の直観力を男性は理解できない




男性は直感が降りてきにくい。

「この人じゃなきゃダメだ!」という感覚は、一つの精子を受け入れる女性と、「1晩に10人を精子を配れる(妊娠させること)」可能性がある男性とでは全く意味合いが違ってくる。


男性は、「選び放題」なのだから、別に直感的に選ばなくても「どれかがあたってくれる」のである。



しかし女性は妊娠についてはリスクが伴う。
時間的なことも子どもの優劣を決める事についてもそうだ。

ただ、だからこそ、女性に女性の直感は優れているはずである。
男性のように「とりあえず数打つ」という戦略では大変な事になってしまうからだ。



悲しいことに、女性の「直観力」というか、「説明できないけれどこれが一番良いの」という女性の言葉を男性は理解できない。



しかし、男性は女性が感じた著間に乗ってしまうのも幸せへの近道かもしれない。
幸せは頭ではなく心にあるのだから。
どんなに「幸せの条件」を論理的に考えてみても、それは虚構のものであり、だったら、女性の直感に乗せてもらったほうが良いのかもしれない。








女性と男性の決定的な差異は論理性の有無だと私は思っている。
女性は理論に従うことはあっても、論理を信じることは決してない。
女性にとって神はあくまでも自分自身なのだ。
常に外部に神を求めざるを得ない男性よりも彼女達がいつも強くてたくましいのはそのためだった。
(快挙 白石一文 新潮社)






心理評論家の植木理恵先生によると、
 「男性は客観的事実のみを重要視するが、
女性の場合、感情で結論づけた心的事実を重要視する」という。
つまり事実は事実でも、
男性と女性では答えの違う事実が2つ存在することになる。
http://www.telejirou.com/archives/140














■vol24 女の一押し


女性脳は、右脳(感じる領域)と左脳(思考の領域)の連携が男性脳に比べて、
はるかに綿密なため、嘘も見抜くし、直感も感じやすい。
というのは、以前にも述べた。
特に、「想念」を自らの身体性になぞれえて、深く腹に落とすスピードは、男性脳の想像を絶する。

何を言いたいかと言うと、女性は「これしかない」という”一押しの提案”が浮かびやすいのである。
男性は、それを「短絡的だ」と思いがちなのだが、それは早計である。
女性が「これにするわ」と宣言するとき、その選択に使った時間がほんのわずかだとしても、
一生分の「身体性の確認」を終えていると思った方がいい。


男性は、その決断を、まずは受け止めて欲しい。


そのうえで、「あのリビングにこれを入れたら、テレビまでの距離が異様に近くなるよ」などと、
優しく諭してほしいのである。
「君は本当に考えるってことをしないよね」と言い放つのだけは止めて欲しい。

そんなひどいことを言わない男子でも、
「ちゃんと他のものを見てから決めようよ」といいがちだ。
よくあるアドバイスだし、当たり前だと思っているでしょ?
しかし、その提案こそが、女ごころを、びっくりするくらいがっかりさせるのである。
感じる天才・女性脳は、比較検討する前に、かなりの感性情報を収集している。
物が並んでいる中から、一つだけに強く惹かれた場合、無意識のうちに、ちゃんと他を捨てているのである。
値段も素早くみているし、キャッチコピーも見逃していない。



女は別れた恋に未練を残さないとよく言われるが、いったん捨てた選択肢も同様。
触れてほしくなものだ。


というわけで営業マンにアドバイスである
女性のお客様が「これが欲しい」とおっしゃった場合、「今ですと、こういう商品もありますが」などと、
いきなり情報を広げるのはやめた方がいい。

その商品の何に惹かれたのかをお聞きしたうえで、
「それでしたら、こちらの方がさらに…」という誘導が効果的だ。
また、女たちは、一押し提案が出来ない相手を「鈍感な人」と感じる傾向もある。
デートでも、「僕のおすすめはこれ」といえないと、いきなりマイナス点がつく。気をつけて。

好感度を上げたかったら、「何食べる?」と尋ねずに「イタリアンはどう?きみに食べさせたいピザがあるんだけど」
などと提案すべき。
しかも、女性脳の構造上、事前に提案しておくほうがずっと効果的である。

というのも、女性脳は「過去を反復する癖のある脳」。
このおかげで、「きみに食べさせたいピザがある」という言葉をデートまでに何度も思い出して、
いい気分になっていてくれるのだ。
少なくとも一週間前からイタリアンにはいかないし、洋服もそれなりに考える。

こうしてデートの始まる前に、
自分自身で、かなり気分を盛り上げてくれるのである。
なので、デートの最初の、会った瞬間に、もう70%くらいの満足度に至っている。
この予告作戦には、副次効果もある。
「楽しみにしている期間」には、相手からの電話やメールの回数が少なくても気にならないのである。

さて、女性にもアドバイスがある。
直感が降りてきにくい男性脳は「これしかない」という一押し提案に不安を感じる。
ちゃんと比較検討して、「これしかない」に辿り着きたいのである。

家のものを買うなら、女の言い分を押し通してもかまわないけれど、
ビジネスシーンでそれをすると、能力を不当に低く見られるので気をつけて欲しい。


男性向けの提案書では、一押しがあっても、”見せ提案”を添えて複数の候補を挙げることだ。
女性脳からみたら、「新商品に対する未来の顧客感性を測るのに、過去の実績をいくら数値にしても意味が無い」
と思えることでも、それでいいのだ。


”複数提案&数値添え”は、男性脳を安心させる。

とはいえ、悲しいことにデキる女が心底うんざりするのは、
「当然の帰依」に、さまざまな「捨てた別解」をくっつけて説明しなければならないときだ。






■vol.30夫が恋に落ちたらなら

女の恋は、深い確信で始まり、同情に行き当たる
男の恋は半信半疑で始まり、しみじみとした確信に行き当たる。

夫婦の脳は、人生を共に歩みながら、全く違う「恋の旅」をしているようである。

メスは、遺伝子の相性を厳選して集中的に発情する。
一定期間、深く執着するようにできている。


女性は、自分がそうだから、男性にも同じであることを期待する。
出会ってすぐに「君は運命の人だよ。僕達の出会いは運命なんだ」くらいのことを言ってくれても、
ぜんぜんオッケーなのだが、男はそうはいかない。
女性の多くが、恋の立ち上がりに、自分ばかりが空回りしているように感じて嫌になってしまうのを男性陣はご存知だろうか。


さて、恋愛の初めに、かなり集中的に執着するくせに、女性脳は、あるとき「ほとほと嫌気がさした」気分になることがある。
一個体に集中しすぎると、生殖機会や遺伝子の組み合わせのバリエーションを狭めることになるので、
脳が、ときたま、いきなり執着を解除するからだ。

恋人同士なら、ここで喧嘩別れして、次の恋に移ればいいのだけど、
夫婦となったら、ここをうまくやり過ごして、長い友情関係を築かなければならない。

一方、男の恋は、女のそれほど、深い確信で始まらない。


哺乳類のオスは、生殖のリスクが低いので、相手を厳選するよりは、
やってきたチャンスを逃さないのが最も合理的な手段となる。

つまり、男性脳は、女性脳ほど、積極的に異性を嫌わず、
「この人しかいない」という確信も起こりにくいのだ。



というわけで、男達は、恋の確信ではなく、責任感で結婚を決心し、
小学生が小学校に通うように、無邪気な責務遂行感で結婚をキープしている。




とはいえ、女性はガッカリする必要は無い。


そもそも男性脳は、「責任を果たす」という行為が大好きなのだ。
しかも責任を積み重ねた相手に強い愛着を抱く癖がある。


たとえば、「会社」なんかそうでしょう。
時を重ねるほど、愛着が湧いてくる。
さて、異性を積極的に嫌わず、恋の対上がりの確信が薄い男性脳が浮気しやすいのは当然である。
女性の浮気は今の相手への執着が劇的に切れたところで起こるので、妻は、夫の浮気を同様にみて絶望するのだが、
それは違う。
夫の妻への執着は、「責務の積み重ねの果てに産まれる愛着心」であって、恋情とはまた別の強い絆だからだ。
だから、夫の婚外恋愛に、妻と呼ばれる人は、動じることは無い。
穏やかに頼りにし続ければいい。
(夫婦脳 黒川伊保子 新潮文庫)

Dr.House season8 #22 Everybody dies ネタバレ





※完全においしいところを綴っておりますので、みたくない方は一番早くてFOXでどれくらいにシーズン8が放送されるのか分かりませんが、そちらをお待ちくださいませ。
(May.2014には大手レンタル店頭にならんでいました)




※シーズン4くらいから忘れてしまっていましたが、ハウスの口癖は「Everydody lies」でしたね。
それもあって最終回の題名は「Everybody dies」と韻が踏まれているのだと思います。



















 

■前回までのあらすじ

ハウスとウィルソンはウィルソンの余命の過ごし方で仲たがいしそうなりますが、最終的にはケモを受けずに死期を迎えようとするウィルソンの考えを尊重します。


ハウスが怒るも無理ないですね。
放射線治療は辛いものであってもたった2週間程度の痛みを受けただけ。
たいしてハウスはもう何年も毎日、脚の痛みに耐えて必死に自分をコントロールして生きています。
人間は自分ガ我慢している者を他人が簡単に放棄してしまうことに怒りを覚えてしまうものです。


ウィルソンのオフィスで登山のプランを考えていたおり、フォアマンと病院の弁護士が訪ねてきます。
ハウスのMRIへのイタズラがナイナイでは処理できない状況になり、仮釈放が取り消しになるとの通達。

ハウスはスッタモンダあって仮釈放(シーズン7のラストでカッディーの家に車で突っ込んで海外逃亡していたw)の身であったにも関わらず持ち前の遊び心からホワマンとチームにイタズラを仕掛けます。
しかしその度の過ぎたイタズラによって仮釈放が取り消され、再び服役することになります。
服役期間は6ヶ月です。そう、余命5ヶ月と診断されたウィルソンを残して…

 

 


■最後まで診断を続けるハウス

仮出所は取り消されましたが、再び刑務所に入るまでには手続きか何かがあるのか何日か猶予があるようです。
その時間をハウスは診断をします。ヘロイン中毒の患者です。
ハウスはその患者にヘロインを売った売人を探しに行きます。

いわゆるスラム街に、です。



※『いまを生きる』(原題: Dead Poets Society)の準主人公?がウィルソンを演じている俳優さんって言うのは何か関係あるのかな?




■チームメイトの幻覚

そこで場面は途切れ、ハウスは目覚めます。倉庫のような場所のようです。
なぜかヘロイン中毒者が横にいて、どうやら死んでいるようです。

ヘロイン中毒者の脈を確認していると「彼は死んだ」とカトナーが言います。
ハウスは「お前も死んだはずだ」と一瞬混乱しましたが冷静に言い返しました。
そしてカトナーは「ここは火事になるぞ」といいます。

次はアンバーの幻が現われます。


火が廻ってきて脱出しようとするはハウスですが、ボロい建物の底が抜けて落ちてしまいます。
火の手が迫ってきます。


フォアマンとウィルソンは2日も姿を見せないハウスを心配して探します。
ハウスの自宅でハウスの携帯の履歴をおったところノーラン(シーズン6でお世話になった精神科医)に電話した形跡がありました。

二人はセラピー中のノーランを訪ねます。

 

 


■ステイシー

次は椅子に座ったステイシーが現われます。
ステイシーに手をとられるとステイシーの家で赤ちゃんを抱きます。

ステイシーは「あなたの子どもよ」と赤ちゃんをハウスに抱かせようとしまう。

赤ちゃんを抱いたハウスは「これが俺が死にたい理由だ」と言います。
普通の父親にはなれないから幸せになれないんだと。

ハウスは「ステイシーは結婚してしまったしカッディーは去ってしまった」と言いますが、
ステイシーは「あなたを愛せるのはその二人の女性だけじゃないはず」と励まします。
「お金で買える愛などいらない」と、火の手が廻る地面に横たわって死を待とうとします。

 

 

 


■キャメロン

次はあぐらをかいたキャメロンが登場です。


「お前にまで憎まれる日がくるとはな」とハウス。

「嫌いじゃないわ、好きよ」とキャメロン。

「愛しているのに、死んだほうが良いと言うのか?」とハウス。

「罰を与えにきたのではないの。これはチャンスだと言いたいの。」
 「今まで十分苦しんで十分いいものを他人に与えてきた。今こそ痛みから解放される時なのよ」
「ウィルソンが解放される、そしてウィルソンの決断を受け入れたあなたならなおさら」とキャメロン。

 

 

 


■ハウス、死す

フォアマンとウィルソンはハウスのカルテをみて、スラム街にたどり着きました。
スラム街に向かったウィルソンとホワマンは、燃え盛っているビルへ近づきます。
その窓越しに2人は、ハウスの影を見つけますが、すぐに柱が彼に倒れかかり、火の海に包まれたかと思うと、爆発が起こります。

翌朝、現場に駆けつけた部下たちに混じって、タウブは、胴体だけの遺体が運ばれるのを見ます。
その胴体は、病院に運ばれ、検視の結果、ハウスと確認されます。

 








■お葬式


カッディ以外の主要な登場人物が短い弔辞をそれぞれ述べます。

ウィルソンが一番長く喋ります。
「彼は私の友達でした。」
「彼はたくさんの命を救ったヒーローでした。」
などと空気にあった言葉でしゃべっていましたが、突然、感情的に話し始めます。

「ハウスはバカな奴だった。彼は患者や同僚や友達に探りを入れて分析することで快感を味わっていた。
 他人を惨めにすることを楽しんでいた。それなのに勝手な死に方をした」とまくしたてました。

その時、ウィルソンのポケットで、彼の携帯が着信を知らせました。
その携帯は彼の携帯ではありません。ウィルソンのような男が葬式の場で形態の電源を切らないわけがない。

それを取り出すと、着信はメールで、その文面には「SHUT UP YOU IDIOT(黙れ、お前はバカだ)」とあります。

 

 

 

 

 


■死んでも親友を選んだハウス


ウィルソンが車を降りると、玄関先の階段にハウスが座っています。

「死体を俺が死んだと思わせるように細工した」とハウスは普通の顔をして言います。

「もうこれから先、二度と医者として働けないぞ」と困惑気味のウィルソン。

「俺はもう死んだんだ。お前の五ヶ月を一緒に過ごしたい」とハウス。



ウィルソンは笑いました。


 





■ガンは退屈だ


BGM(keep me in your heart)が流れています。

その後、病院では、
フォアマンとの意見の違いで辞める決意をしたはずのチェイスがチームの指揮を執っています。


タウブは、妻と愛人の2人を抱え込んでいます。
5人とも幸せそうです。


キャメロンは、シカゴの救急医療室のリーダーです。
チェイスとフォアマン、そしてハウスとの4ショットの写真を見て笑っています。
そのとき夫が赤ちゃんを連れて入ってきました。キャメロンは抱き上げます。


ホワマンは、学部長として、自分のオフィスに戻ります。
そこで彼は、座りの悪かったテーブルが安定している事に気付きました。
見ると、足の部分に「パス」が差し込まれています。
それは、ハウスのものでした。
ホワマンは、それで彼が生き延びた事を知り、「また騙された」という感じで笑います。

森の中にある橋の上にハウスとウィルソンがいます。
二人ともバイクにまたがっています。


W:
When the cancer starts getting really bad...

H:
Cancer's boring.

腫瘍科医であるウィルソンに対して「ガンは退屈だろ」という最大限の皮肉を残して(ウィルソンは僕の人生に価値があったと君に言ってほしい、とまで懇願したのに、このハウスらしい一言wしびれました)、
二人は二人だけの世界にバイクを発進させていった。




fin






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いやーハウスとウィルソンの友情には本当楽しませていただきました!
ハウスのためにウィルソンが我慢する場面はありましたが最後にはウィルソンの5ヶ月のためにキャリアを投げたハウス!感動的!!

といっても、彼の事だから、フォアマンを上手に操って医療で食べていけるのかもしれませんね(笑)

ちょっと関係ないかもだけど「愛情はひと時で終わるが友情は永遠である」みたいな言葉は真理であって、
孤独で愛する人が居なくても本当の友情があれば人は生きていけるのではないかなぁーと。



参考サイト:
http://gamechin.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5175506








#21ではハウスの本音がついに、ウィルソンを鏡として出てきて、ハウスも人間なんだなぁと思ったり、毎秒脚は痛んでいるのだなと感じさせる場面があった。



H:
Life is pain!

I wake up every morning and I'm in pain.
I go to work in pain.
You know how many times I've wanted to just give up?

How many times I've thought about endingt it ?




2013年6月4日火曜日

パーソナリティ障害の母親に育てられたら





本来、母親からの愛情と保護を受けて育つはずの子どもがそれを十分に受けられない。
安心できる所であるはずの家庭の中で不安定な母親の存在が子供の心の負担になる。

それも、母親の怠慢や過失によってではなく、 母親自身にもどうすることもできない疾患や障害によって、そうなってしまうこともある。


こうした悲劇的な状況が、今もいたるところで起きている。


しかも、問題を見えにくくするのは、 子どもには大きな適応力があるため、 かなり大きなストレスがかかっていても、 そのときは何事も無く過ぎていく事も多いと言う事である。

それで困難が乗り越えられたのかというと、 問題はそれほど簡単ではない。
時間差をおいて、 子どもに様々な問題が出てくる事が少なくない。

一見、健康的に育ち、 社会にうまく適応して、活躍しているようなケースでさえも、 内面に不安定さや心の傷を抱えていて、 生き方や対人関係において、 特有の偏りや歪みを示すこともある。


人知らず、悩みや苦しさを引きずっているケースも少なくない。





母親の母親としての役割の不適切さを「自己愛性パーソナリティ障害」として考えて、その影響を受けて育つ子供が、どういう風に育ってしまうのかを、以下に簡潔にまとめてみる。






 


■母親の自己愛ワールドの住人に


境界性パーソナリティ障害の親は、子どもとの距離感のすさまじい変動や、罪悪感の刷り込みによって、子どもを強烈に振り回す。

子どもは自尊心を低下させ、他人の顔色を読み、罪悪感から行動するようになるタイプになることが覆いという印象を持っている。

境界性パーソナリティ障害患者の子どもは、それでも自分の親は不適切だったという感覚を持つことができるようになる。
親の感情のコントロールの悪さは、明らかに「異常」だからである。

そこで刷り込まれた罪悪感を問い直すことは少なく、そのまま持ち続けることが多いが、「親に何か問題があった」というくらいの認識は出来ることが多い。

しかし、自己愛性パーソナリティ障害を持つ親となると、子どもはほとんど「洗脳」されていることが少なくない。親が作り上げる虚構の世界の住人となってしまっているのだ。

親を誰よりも尊敬し親の自己中心的な発想を「道徳的」ととらえ、親と現実世界との折り合いの悪さを、「理解の無い周囲が悪い」ととらえるか、親の代弁者として理解を求めてけなげな努力をするか、という形で引き取る。








■社会的成功をおさめやすい自己愛性パーソナリティ障害


自己愛性パーソナリティの人は自分の正当性を主張し、また自己アピールが非常に上手いので、事情を良く知らない第三者は、その人の言うことを鵜呑みにしてしまいがちである。

このタイプの人は、世間的には見栄えがして、立派で魅力的に映るので、なおさらである。
子どもの方が「お母さんを困らせる」とみなされることが多い。

自己愛的な母親に見られやすいのは、子どもを思い通りに支配しようとする傾向である。

母親の強いコントロールを受けて育った子どもでは、ストレスフルな状況に出会ったとき、
うつや不安、ひきこもりや自傷といった内向性問題行動が生じやすい。

また主体性が侵害される結果、子どもの主体性の希薄な自分に自信のない人間に育ち、回避性の傾向や依存症、境界性の傾向を示すか、やはり同じようなナルシズムを発達させることで自分を守ろうとする。

子供にとって母親は神様。
神様に捨てられずに一緒に生活していくために演じなければいけない自分の種類は限られてくる。

 

■それでも、子どもは母親を疑えない


不思議なことに、本当の愛情も与えられず、心理的に支配され、実質的には精神的虐待を受けたにも関わらず、自己愛性パーソナリティ障害の母親に育てられてきた子どもは、母親を理想化し、母親に認められようと、涙ぐましい献身をすることが少なくない。

治療の場にあらわれた時点では、まだこの「洗脳」状態にあることが多く、親の何らかの自己愛を満たす目的で連れてこられることもある。

もちろん、親にとって子どもが自己肯定感を向上させ、人間として成長していくことは、親自らの自己愛ワールドを脅かすことになるため、治療が少しでも前向きに進むと受診抑制をすることが多い。

親が子どもを連れてドクターショッピングを繰り返しているケースの中には、そのようなパターンもあるだろう。

いずれにしても、こういうケースは、もう一人の親が事態を理解して強力に支えたりしなければ治療の軌道に乗せることも難しい。
治療が始まっても、パーソナリティ障害を持つ親の自己愛を過度に脅かされないように、慎重な工夫が必要となる。

また、「洗脳」されている子どもに対して、いきなり「あなたのお母さんは病気でいっていることはほとんど嘘なのですよ」と指摘することは不適切である。

多くの場合、単に否認して反発し、治療の場から離れるだろう。

どんな親でも本人にとってはかけがえのない親であり、その親が繰り広げる世界を信じてそれまでの人生を歩んできた、ということは常に頭においておく必要がある。
そして、その不健康な世界からの「役割の変化」は、本人のペースにあわせて、本人の安全を脅かすことなく、慎重に進めるべきである。











■受け継ぐ生き方


近年パーソナリテ障害があまりにも安易に診断される傾向には警鐘を鳴らしたいが、そうは言っても、パーソナリティ障害の診断を満たす患者がいることは現前たる事実だし、本当に診断基準を満たすレベルの患者は、その定義からいっても、かなりの機能障害を起こすものである。
そして、もちろんその機能障害は、子どもを直撃する。


パーソナリティ障害では、情緒が不安定になることはないが、独善的かつ支配的であったり、共感性に乏しかったりすることで、養育態度にもそうした傾向が見られやすい。

母親がこれらのパーソナリティ障害を抱えていた場合、愛着に問題が生じがちで、偏った子育てに陥りやすい。
またこうした母親は、問題を意識するどころか、むしろ過度に自己正当化がなされることが多い。


それで、子どもや周囲の方に問題があるとみなされ、
母親が自分自身を振り返り、自分の問題として修正することが、なかなか難しい。


ただ、悲しいことに問題のある母親は、やはり問題のある母親に育てられている可能性が高い。
問題のある環境(両親)の生き方を学んだ子どもは、無意識にその生き方、育て方を受け継ぐ。





 

■子どもの適応メカニズムがパーソナリティの偏りを生む


子どもは、親の顔色や気分を推し量り、的確に対処を行いながらも、常に高い緊張状態に置かれると言うことである。
それは、親が安定している場合には強いられることのない緊張である。

親の雲行きが一瞬のうちに変わってしまうような場合にはなおさらである。
日々、薄氷を踏むような思いでくらすということになる。

そうした中で、子どもは親の顔色や感情の些細な変化にも敏感になると同時に、
それに強く支配されるようになる。
子どもの行動は、自分がそれを行いたいかどうかよりも
それが親を傷つけてしまわないかあるいは親を喜ばせるかという観点に依存するようになる。
ある考えが浮かんでも、それを気軽に口に出して話すと言うことはしなくなり、それが母親の機嫌を損ねはしないか、傷つけはしないかと自分に厳しく検討を課し、
結局、何も自分の本心はいわないということになりがち。

これなら親も喜ぶだろうということしか口にしなくなる。

親の顔色に合わせてしかしゃべらなくなる。








■臨界期の存在


パーソナリティ障害の母親の影響は、子ども時代のどの点においても認められるが
非常に大きい時期と影響が少ない時期の違いが厳然と存在する。
それは、愛着の形成と関係している。
取り返しの付かない重大な影響を及ぼしてしまう敏感な時期は「臨界期」と呼ばれるが
その期間は0歳~2歳までであり、
ことに重要なのは6ヶ月から一歳半の一年間と言われている
養育者との間に愛着の絆が形成されるのが
まさにこの時期に当たるためである。


愛着は刷り込み現象とよく似ている。刷り込みよりは修正はきくものの、この時期にしっかりとした愛着形成がなされていないと親との間に愛着の絆が結べないだけでなく、生涯に渡って、誰との間においても安定した愛着の絆を維持、発展させることができにくくなる。


6ヶ月までに養家に預けられた養子は実の子同様に育つ。

ところが6ヶ月を過ぎて養子に出されると養父母は大変てこずることがおおい。
しかし、まだ一歳までならば、愛着の絆を結ぶことができるが、
もっとも困難なのは2歳を過ぎて養家に来た養子。






■愛はあるのに愛せない


パーソナリティ障害を抱えていて、抱えていること時代に親も子も気づけない場合の悲劇性は
 母親というものが子供への献身を求められるという宿命を負いながら、 自分自身が抱える苦悩ゆえに、
その献身が困難になってしまうことに起因する。

病気や精神的な問題によって自己愛障害に陥り、子供に愛情を注げなくなった状態だと言う事もできるだろう。

自分の傷つき苦しさゆえに子供を愛せない母親。
その連綿性のおぞましさ。

子供の側が母親に愛情を注ぎ続ける構造が続く。









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参考文献:
思春期の意味に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社
シック・マザー 心を病んだ母親とその子どもたち 岡田 尊司 筑摩書房