2013年3月7日木曜日

いつも人間関係で緊張しているあなたへ




◇嫌われないように緊張するから疲れる

友達と一緒に居て疲れると感じる人は
人に嫌わないことを目的に人付き合いをしている人です。

人付き合いを楽しもうというよりは
無意識のうちに誰にも嫌われないように振舞おうとしてしまうのです。

その結果、自分を嫌っているように見える人に嫌われまいと、シッポを振ってしまう。


こういうタイプの人は
自分の心に相手を好きか嫌いか、相手と親しくしたいかどうかという問いをかけず
20人の人、全員から”嫌われたくない”のです。

自分が好きだとは思えない相手からも好かれないと不安なのです。


不安だから、好きでもない相手のウケを狙うような行動を取るようになります。

しかし人間は
自分が好きだと思える相手としか心の絆を結ぶことは出来ない。


 


■顔色を窺うというコミュニケーションスタイルの確立


幼い頃にわけもなく両親から不機嫌にされたり
イライラされたりするような環境で育つと
「他人と人間関係を築く際には、まず第一に相手の顔色を窺うこと」という癖が
身についてしまうことがあります。


幼い子どもは当然の事ながら1人では生きていけない。
両親を頼るしかない。

だから、両親の機嫌が悪かったりイライラされたりすると
子どもは「見捨てられるのではないか、生きていけないのではないか」と
不安でたまらなくなるのです。


そして、自分自身は何も悪いことをしていないのに
自分を責めて常にびくびくしながら両親のご機嫌を窺うことになる。
実は、両親の不機嫌やイライラは子どもには何の関係もないところで
発生していることが多いのですが子どもにはそんなことがわからない。



両親の機嫌を取ることで両親の気分がよくなって、「いい子」扱いされれば
その後もご機嫌取りを繰り返すようになる。


こうして子どもは「ご機嫌うかがいさえしていれば自分は見捨てられることは無い(認められるより捨てられない、が優先になる)」と心に刻んだまま成長し
「人間関係とは相手のご機嫌をいかにうまくとるかによって成否が決まるものだ」とう価値観を持つようになるのです。


子どもは本来、自分の喜怒哀楽を
親に共感して欲しいものです。

とくに、自分が嬉しいときには
親にも同じくらいたくさん喜んでほしいと強く願っています。
「おいしいね、楽しいね、よかったね」と
共感してもらうことが
子どもにとっては最高の幸せなのです。

ところが、親と喜びを分かち合うどころか
不機嫌になられたりイライラされたりすると
子どもは深く傷つきます。
自分の気持ちを踏みにじられ
自分の存在すら否定されたと感じて落ち込むのです。

このように心に傷を負った子どもは
二度と傷つくまいとして身を護ろうとします。
自分の幸せに嫉妬された子は
親を不機嫌にさせないように自分の喜びを殺すようになります。
嬉しいとき、親に嫉妬されて育った子は
自分が喜びさえしなければ
親は不機嫌にならない、と考えます。
その結果、子どもは
楽しいことが怖くなります。

そのうえ、このような家庭で育ってしまうと
「自分が喜びを回避する=親から見捨てられない」という
「契約」にとって結ばれる関係になってしまう。
そして、
この契約関係こそが
人間関係の基本だと認知し
全ての人間関係に応用してしまうのです。

自分が育った家庭での
不自然な親子関係が人間関係および恋愛の不具合さを生む。





■嫌われないために生きる人々


「嫌われたくない」という気持ちが強い人たちは
誰かから嫌われて傷ついていることに耐えられない人たちです。

だから、誰かから嫌われることを必死に避けようとします。
その相手は、自分が好きな人だけではなく、なんとも思っていない人であっても
「この人に嫌われてしまいそう」と感じると、その状況に耐えられなくなり、
必死にその事態を回避しようと努力してしまうのです。


そして、愛を求めて病まない彼らは誰からも嫌われたくないと願うと同時
出来る限り、多くの人に愛されたいと願い、自分に関心を向けてくれない人からも愛されたいと願うのです。


その「嫌われたくない」という気持ちの源泉は恐らく過去にあります。

彼らが「この人に嫌われる」という不安を抱いた瞬間に
過去に彼らを深く傷つけた人たち、すなわち、彼らを「嫌って」「捨てて」
いった人たちの事が頭に浮かび、その当時の悲しみが心の中で再現されてしまうのです。


実際に彼らが嫌われ、捨てられたかとは別問題です。




彼ら自身がそう感じてしまった事実があるということが
まなまなしい記憶として心の中に残り続けているのです。
だから彼らはその悲しみを払拭しようと必死に努力します。


「捨てないで」という懇願の意味を込めて、嫌われないための必死の努力をします
それは、実は過去の悲しみの再現を避けているのであって、
今現在、目の前の人との間に起こっている感情とは異なるものです。


けれども、当人がその「嫌われたくない」という思いやその源泉に
気づいていないため、自覚なく、相手に嫌われないための
好かれる努力をしてしまうのです。


だから、異性と二人になったときに、相手に好きになってもらうような
振る舞い、あるいは誘惑的な振る舞いをしてしまうのは
ほとんど、条件反射のようなもので本人が自覚して修正するのはなかなか難しいかもしれません。


そして、アルコールなどの力によって理性が緩んだときに
こうした行動がエスカレートしてしまう人も
浮気を止められない人の中には少なくありません。
無理に誘われると断れない人もいます。
嫌われたくない気持ちが強い女性は相手が
性的関係を望んでいるのであれば、
それに応えなければという義務感にも似た
強迫的な気持ちが芽生えてしまうのです。
だって、断ってしまえば「嫌われてしまう」から。



 

■常に孤独を感じてしまう人


嫌われたくないという不安が強い人の中にも多くいますが
満たされない思い、孤独感を抱えている人の中には
身体のふれあいを求める人が少なくありません。

彼らにとっては、肌がふれ、キスをし、性的関係を持っている瞬間のみが
「満たされた」「孤独ではない」と感じられる瞬間なのです。

求めているのは「嫌われない」ことであり、
身体が触れ合うことで得られる「満たされた感じ」であり、孤独感の払拭なのです。


逆に言えば、「嫌われない」と感じられれば身体が触れ合って満たされたと感じられれば、
性的関係など持たなくても構わないと彼らは思っているのです。


しかし恋人や妻(夫)には理解が出来ません。



彼らはどうしてもそうまで浮気を繰り返すのか。
恋人がいるのに、結婚しているのに、どうして浮気相手に
そこまで一生懸命になるのか。
それは彼らが、嫌われたくないという不安が強い人同様に
過去の人間関係から逃れられずにいるからです。


過去の自分の愛に応えてくれず
自分を満たしてくれなかった人、自分を孤独にしていった人との関係が
頭から消えず、いつも満たされない思いを抱え続けているのです。


それは、もしかしたら彼らの親かもしれません。
恋人かもしれません。


いずれにせよ彼らは過去に自分のもっとも愛する人から
望むように愛されずにきた経験があり、
その過去をいまだに引きずっているのです。
だから、彼らが浮気相手を目の前にして抱く、
嫌われたくない、もっと愛して欲しい、満たして欲しい、自分だけを見て欲しい、
愛されているといい実感を抱かせてほしいという感情はいま目の前の人との間に起こっている感情なのではなく
過去の自分を愛してくれなかった人に対して抱いた感情の再現に過ぎないのです。



彼らは心の深い部分で、人とのつながりや愛の継続を信じられていないのです。
結局はいつかはみんな自分を捨てていく、自分から離れていくと言う思いを抱いているのです。



 


■親から愛されなかった人ほど親の愛を求める

他の人ではなく、親から愛をもらおうとするのです。
どうしてそうなってしまうのでしょうか。
それは誰しも自分を生んだ人から愛されたい願望があり
親子関係が人間関係の基本になっているからです。


自分と親の人間関係がお手本になるのです。
親からたっぷりを愛され、愛と信頼の関係を作った子どもの場合は
幼児期から、親以外の人にも
心を開いて愛と信頼関係をつくろうとします。
そして、たくさんの人から愛されるようになります。

「人は自分を愛してくれるものだ」という世界観を持つようになります。
そして、自分が大人になったら、近所の子を愛するようになります。
しかし、親から愛されなかった子は
「親ですら自分をこれしか愛してくれなかった。他人からは、もっと愛されないに違いない」と思う。



 

■人間不信=自分を信じられない

人間不信の人というのは実は自分が信じられない人。
自分の直感や自分の気持ちが信じられない。
自分を信じて、これまで失敗してきたからです。


自己不信から人間不信が発生し、この世で一番信じられないのが、
自分の直感や自分の判断。

また、人に無償の愛で接したことの無い人は
人からも無償の愛を受け取ることはできません。


「何か、下心があるのでは?」と疑ってしまうからです。
この疑いの心こそ、人間不信の核心です。


人を愛したことのある人だけが
人の愛を受け取ることができるのです。
しかし、世の中、皮肉なことに人の愛を必要とする人ほど人間不信が強いものです。

つまり、愛を拒否している。


愛が欲しいのに、人から親切にされると
「何か魂胆があるのではないか」と疑ってしまうので受け取れない。


親に共感してもらえなかった怒りや親を信頼することができなければ
悲しみは増していく。対人恐怖、というか人間が嫌いになる。
最も嫌いなのは自分。

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