2013年3月3日日曜日

躁的防衛と命日




2月は父方の祖父の命日があります。
18歳の年、高校2年生の冬の事だった。
世界史Aの小テストをしている時間帯に心筋梗塞で倒れたらしい。

病院に搬送されたからしばらく息はあったらしい。
テストなんか、どうでもいいから、どうしてかけつけられなかったんだろう…。





 

 

◇死をもってじいちゃんから教わったこと

 





人間の記憶って便利なもので
どうでもいいことは抜け落ちるけど
大事な特定のことははっきりと覚えている。
いや、大事なことがいつ起きても保存して置けるように
日常のどうでもいいことは抜け落ちていくように
設計されているのかもしれない。


1限に世界史の小テストのことを
そこそこ気にしていた朝を覚えているし
Mステがあったから金曜日なはずで、
GLAYが「いつか」を歌っていた。
いつも一緒に部活の帰りを共にしている3人のうち、
Sくんはデートか何かが一緒に帰らずに
3人で自転車を漕いで帰った事も覚えている。

その帰り道、
帰宅するまで知らされていなかったから
いつもどおり部活をして夜にちょっと集まってゲームをしようという
約束をしていた。
そして、帰り、死去の話を一通り聴いたあと
僕は友達の家でスマブラをいつも通りに
楽しく興じていた。
不思議なくらいに、いつもどおりの楽しさがあったことを
覚えている。
今になって思えば、脆弱な心を保つための
躁的防衛だったのだと理解できるが
当時は、最愛の人がなくなったのにゲームを楽しめる自分って、
とんでもなく冷淡な人間なのではないか…と落ち込んだものだ。






もともとの高血圧だったこともあるだろうが
朝から回覧板をお隣さんへ届けに行ったところ
倒れてしまったとの事だった。
律儀で真面目な人だった。
そして、真面目さを強さとして昇華させている人だった。

真面目ってのはポジティブなイメージがあるかもしれないけれど
他人を疲れさせるだけ。
なぜなら、柔軟性がなくて頑固なだけだから。
真面目な人と一緒の空間に居たら安らげないでしょ?


それでも、じいちゃんの真面目さは
圧倒的に優しさと強さを持っている真面目さだった。
多分に美化をしている可能性もあるが…。












あっという間と言うか、なんか何も実感がない。
存在しなくなったことさえも、いまだにどこか、
否定しているのかも知れない。


自分は他人の集合体なので
じいちゃんは間違いなく自分を構成している。
意志は受け継いでいる…っていう意味じゃなくて、
全然に現実とは違っている、という意味での死んでいないんじゃないか?という感じ。
旅行に行っている、あうりはどこかに出張にでも行っているのではないか。
また還ってくるんじゃないか。
たずねていけば、いつもどおり正座して写生に集中している後姿が
在るんじゃないかと思ってしまう。


いまだに、現実感がないのだ。
何かが抜け落ちていて、後悔とか空しさは
はっきりと残っているのだが
どうにもこうにも疼く。
ただ、思い当たることがあるとすると、
おじいちゃんの生にも死にも何も携われなかったっていうのは
今も当時も圧倒的な虚無感と残っている。

なぜなら、散々に遊んでもらったし構ってもらったし
大事にされていたはず。
それなのに、こっちからは何も出来ていない。
いや、出来ていないのはいいんだけど、問題なのは
”やろうともしなかった”こと、なのだと思う。


これが虚無感の根幹。

当たり前のように愛情に浸り時間を搾取しわがままを聞いてもらった。
もちろん恐らく、幾ばくかの金銭的効用も甘受していたのだろう。
この先に、
遺してもらったものの本当の価値と(金銭的尺度としての)価値に気づかされるのだろう。

他人の人生に寄与できるなんて、滅多なことじゃおきないけど
それでも、あれだけ注いでもらったのに、
もう、何もおじいちゃんの欲求、便益に対して
与えることが何も出来ないんだなぁと思うと
どうにもならない無力感と虚無感を感じずには居られないのだ。
(祈るってのは残された人間の満足だから本来的な意味での故人の便益には
 ならないと思っている)










ただ、当日のことは克明に覚えているのだが
それからのこと、たとえば
火葬場で骨を焼く作業までの記憶は抜け落ちていて、
どうしても思い出すことが出来ない。
いや、覚えているんだけど、
すごく限定的。たとえば、自分がどこに居たのかは
覚えているがそこで何をして何を話して何を行動したのかは
全く覚えていない、
それに当時の場面を思い返したときに主人公の視点で世界を捕らえていないことに
気づく。
自分の目線じゃなくて
「自分が居る空間を上から自分が観覧している」というイメージでの
記憶しか残っていない。
自分から見た世界じゃなくて、自分がその場全体を見ている感じ。

これも離人とか解離とかっていう一種の
心的防衛なのだと、今になると思う。
そう考えると
自分がそこに居るのに行動の内容が記憶されていないのは
当然のことなのかもしれない。
だって、意識は自分を上から見ている自分が持っていてしまっているのだから。










唯一、じいちゃんの時間に寄与できたかなぁと
思えたのはゴルフ。
中学生のときにみんなのゴルフ2というゲームにはまっていて
現実の世界でも、試してみたくなって
打ちっぱなしに通ったり素振りをしてみたりしていた。
それこそ、野球選手が素振りで何度も手の皮を破るくらいに
真面目に本格的に取り組んだ。

意図していなかったが
おじいちゃんの趣味にはゴルフがあって、
死んじゃう2がつの前の年の7月に一緒にコースに出れたこと。
結果的に一回しかいけなかったけど
やっぱり運命というか起きるべく時に起こることって
人生にあるなぁと思った。
半年後に分かれることなど露知らずに
ラウンドできたことは唯一、寄与できたんじゃないかなと
思えた出来事だった。

こんなことなら、8月9月くらいにも
無理に誘ってでも行けばよかったな。
せめて打ちっぱなしにでも一緒に行きたかったなぁ。







ちょっと中途半端だけどここで。
これ以上、当時に戻ると
意識と心と感情が現実から離れていきそうな感じがするので。
ここで止めないと、危険かな、と。



ただですね、どれだけ「大切な人には伝えられるうちに愛しているって伝えろ」みたいな
ご高説をたれられても、やっぱり人間は愛してるって伝えないんですよね。



自分の日常は永遠に続いていくもので
世界は変わることなく日常を繰り返すものだと、
どれだけ悲痛な別離や死別の話を聴いても
全く他人の痛みからは学べないわけです。


だとすると、できることはたったひとつ、
思いっきり後悔を背負って生きていくこと。

他人が身をもって示してくれた痛みに
耳を傾けても行動に移さなかった罰を受けるしかないのだ、と。
もしも人間が
他人の痛みから学ぶことが出来たのなら、
こんなにも悲しい物語は断続的に永続的に
津々浦々で発生するわけがない。

人間は
今を大切にすることなど出来ない。
失うまでは絶対に気づくことは出来ない。
その鞭と無能さの償いとして
後悔という消えない荷物を背負っていくしかないのだと思う。

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