◇子どもの未来を共有できるかどうか
育児の手助けをしてもらう人は、子育てをしている親と心が通い合っているのなら、
祖父母はもちろん、ご近所の知人や友人でも構わないので、
子どもを親以外の人間と接する機会を恐れないで下さい。
親以外の人間と接することで、子どもは親とは異なる愛情や社会的な規範を自然に学ぶと同時に、
価値観の多様性を肌で感じることができ豊かに発達していくことに有益です。
■未来に責任を持たないからこそできる愛情
愛情の持ち方が両親と祖父母では、違ってくる。
親は誰よりも我が子の将来を幸福にしたいという気持ちが強いものです。
極端な言い方をすれば、子どもの将来の幸福のためには、
現在の幸福を多少犠牲にしてもいいという気持ちで接しています。
箸の持ち方や挨拶、あるいは感謝の言葉ごめんなさい、オモチャは順番で使いなさい、野菜を食べなさい、などなど。
「今は理解できないかもしれないけれどあなたの将来を思って意地悪な事を言うのよ」
というような、将来を考えた愛情の注ぎ方を両親はするものです。
ところが、祖父母の愛情はそうではありません。
孫の将来が同でも言いと思っているわけではなりのですが、
それよりも、自分の目の前にいる孫を幸せにしたいのです。
言い換えれば、いまここにいる孫の慶ぶ顔をみるのが祖父母のいちばんの悦びなのです。
だから、ときには孫を喜ばせるために、親の躾をじゃましてしまうことがあるのです。
孫の将来よりも今、笑顔を見て、祖父母も幸せな気分になりたいと思っているです。
だから、お菓子やオモチャを親が頑張って我慢させようとしているのに、簡単に買え与えてしまって、
「おばあちゃんは、お母さん達と違って優しいんだよ!」などと、困ったことになってしまうのです。
そんな事を考えていくと、親からみれば、優しさとは厳しさなのです。
しかし、子どもと祖父母からみれば優しさとは「欲求を満たす」ことなのです。
ここに、ギャップがうまれて、両親がしたいしつけを邪魔してしまう土壌があるように思われます。
■親のしつけに理解を示してくれるかどうか
なので、これはどうすればいいかということを具体的に考えてみる。
祖父母たちの気持ちを充分に肯定した後に両親の方針を話してみれば良いと思うのです。
(ただし、両親の以降を話したところで耳を貸さないか理解を示さない自己中心的な祖父母は必ず存在しますので話が全てのケースで通じるとは思わないことです)
「祖父母さんたちが、孫をかわいがりたい気持ち、孫を笑顔にしてくださることには本当に感謝しています。
ただ、この子の将来を考えると親としては、我慢をおぼえさせたいと思っています。
なので、この子の幸せを願う気持 ちが私達と一緒なら、どうか、我慢を覚えさせると言う愛情も一緒に注いでいきませんか?」
などなど、相手を肯定し、自分達の要求に祖父母を巻き込んでみてはいかがでしょうか?
ただ、前述の通り、「孫との今」を楽しみたい欲求を優先してしまう人たちは一定数居ると思うので、
あまりにしつけの邪魔になる振る舞いしかできない祖父母であると感じたなら、それなりに距離をとっていかないと、
導きたい方向に子どもを導けないことになりかねないので、「親との縁を切手でも子育ての方向性は邪魔させない」というくらいの覚悟は必要になってくるかもしれません。
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