2013年3月15日金曜日

夜回り先生のリストカット知識



夜回り先生のDVDを何年か前に観たときの備忘録。







◇それでも誰かを頼って欲しい


ときどき「切っているときに痛みを感じないけど、血を見ると我に返って、
(あ、生きている)と思ってホッとする」と述べるリストカッターと出会う。

自傷行為に及んでいる最中には痛覚の鈍麻、あるいは現実感の希薄カや離人感が生じていて、
切ることがもたらす痛覚刺激や血液の鮮やかな色彩によって現実感を回復している、ということだ。




リストカットは隠してはいけない。
隠さないで誰かに話してしまえば、必ず誰かが動いてくれる。

リストカット=声にならない魂の叫び
だからこそ隠してはいけない。
誰かに苦しさを伝えなければならない。


嫌な事があっても言葉にできない
安心して言葉に出来る環境にないから
リストカットで必死に自分を訴えようとしている。



リストカットは伝染する。





 


■優しいから内側に向ける



純粋で心優しい子ほど、自罰的な行動に走ってしまう。



荒れていて金髪でピアスをするような暴力団にかかわるようなヤツらは
シンナーやクスリに走るが
何もないような、むしろ真面目そうな人はリストカットをしている
だって、目立たないし簡単に出来るし誰にもばれない。

シンナーみたいなのは悪い事をするもの同士の仲間意識を高めるが
リストカットはむしろ、本当に自分のためだけに行っている。

ファションのような感覚だという本人も思っているし
世間の認知だってかなり進んでいるだろう
げんに、リスカなどと略され、リスカしている同士では仲間意識だって
芽生えることが少なくない。


でも、本当は孤独で心が病んでしまっている。
しかも、悪い事をしているという仲間意識でつるむような
友達もいない、孤独な自分との戦いだ


優しさを配ると、優しさが返ってくる。
その返ってきた優しさが明日を作る、明日を生きる活力になるんだ。
















■「いつでも切れる」安心感



カッターをポケットにしのばせる。
いつでも死ねる、いつでも切って楽になれる、という安心感に包まれていると思えるから
しのばせているだけでも、まだ、どうにか生きていける。
切ることは生きるため。

痛みで生きていることを確認できる。
切ることで、辛く苦しい自分から瞬間的に離れることができる。
自分を忘れてしまえる、その感覚が生きるために必要なんだ。



リストカットは死ぬために切っているのではなく
生きるために行っている、自分を罰しながら、ガス抜きをしながら
なんとか生きていることを続けようとしている。
これは辞めさせてはいけない。もっと解決すべきなのは本質的な問題。










■リストカットを起こすエネルギーの根本を


例えば、過剰期待。虐待、DV、イジメなんかが本質的な問題だ。


思いやりがあって心優しい時ほど自分を責めてしまう。


夫婦がケンカをしていると子どもは自分がいい子じゃないからだって
思ってしまう。夫婦が中悪いからじゃなくて
ケンカしている原因は全部自分が悪いって、子どもは思ってしまうものなのです。


友達が機嫌が悪いと、例え友達が家の事で機嫌が悪くても
なんか自分が悪い事をしたから機嫌が悪いのだと
思って、なぜか自分を責めてしまう。


心優しくて思いやりのある子に矛盾しているかもしれないけれど
誰かに優しさ配ってごらん、と伝える。
相手にありがとうといわれる事、ありがとうという言葉が
悩んでいる子供の心を溶かす、そのことに賭けるしかないのだ。






親の過剰期待=期待するのは今の自分じゃ認めてもらえていないと認識するから
自分のダメさを痛感してしまい切ってしまう。


人の為になるという実感が心の強さに繋がる。



問題なのはカットしていることじゃない
なんでカットしなきゃいけないのかということが大切だ。


自分病=こんなに私は不幸なんだ、悲劇のヒロインなんだと思っている。

このケースは簡単に慰めてはいけない。

つらかったね、といってしまえば
やっぱり自分は誰よりも辛い目にあっている人なんよね、よかったぁ不幸な人間だということが
他の人にもみとめられて、と思わせてしまうから。
そうやって悲劇を演じたところで解決には至らないし、不幸なんだって満足してしまうから。













■子どもはどこで発散するの?


世の中はどんどん攻撃的になっている。
お前何やってんだ、たらたらするな、と常に追い込まれている

父親は会社で攻め立てられる。
何ノロノロやってんだ!お前なんかいつでもクビにできるんだぞ、
といわれイライラする。

イラついた父親は母親に当たる
まだ風呂も飯も何もできていないじゃないか、
なにやってんだ、と妻にあたる


じゃああたられた妻はどうするのか?
子供に文句を言い始める
何この点数は?どうして良い子じゃないの!!




じゃあ子供はどうするのか?


オトナはいい。
どこかで酒を飲んだり、ともだちとしゃべったりして
ウサを晴らしているからバランスがとれるかもしれない。


でも、子供はどうなるのか?
昼の学校の世界と夜の家庭の世界にしか存在しないのに
夜の家庭では両親にせつかれ、
お前はなにやってんだ!と心にダメージを追っている。



それなのに、昼の学校もイライラの場所だ。
遅いぞ、早くしろ、頭悪いなぁ、ウルサイぞ
お前なんか居なくても一緒だ、退学だと言われ心が傷つく。





どちらでも緊張を強いられ存在を否定されるような言葉を浴びせられて
自分はダメな人間なんだって、心がパンパンになります。
そして、パンパンな心を救うために子供は3つの種類の行動をとるのです。




1つは、自分の大切な人に自分の身近な大人が自分にやってきた暴言暴力をそのまま同じように行う。
これがイジメです。イジメは本当にありふれていて、
無い学校のなんてないのではないでしょうか。


イジメというのは結局、大人からの攻撃、そのイライラを仲間にする。
ガス抜きです。



2つ目、元気のある子は、昼の世界に背を向け、夜の世界に入ってくる。

どうせ誰も親も自分なんかに期待していないんだからどうでもいいや、ってなる。
夜の世界の甘いウソに汚され、さらに沈んでいく。これが薬物だったり暴走族だったりする。




3つ目、心優しいイイ子はどうするのか。


心優しいから人には当たれないしイジメなんてでき。
真面目だから夜の世界にも入っていけない。
そうすると、一人暗い部屋で悩む。

親からも見捨てられている、勉強もついて行けない、どうしようどうしようってイライラする。
そして心が痛むから、リストカットで自分を一瞬止めてしまう。

悪いイメージを思考するのをとめるためにリストカットをするのだ。

そして、食べ物が食べれなくなったり、食べるのが止まらなくなったりする摂食障害
そしてやがては、自殺願望へと発展してしまう








精神科ではいとも簡単にクスリをくれる。
4錠でこれだけ楽になるのだから、
10錠飲めば、40錠飲めば、もっと楽になるのでは…とODに走る。








 







■誰かは助けてくれるから



救いは求めなければ、あなたも元まで辿り着けない。
誰か気づいて気づいてって祈るようにしていてもダメだ。
人間はそんなに器用じゃないから言葉にしないと気づいてもらえない。

誰かに頼ることは弱いことなんかじゃない。
人は必ずたすけてくれるものだ。

だから怖いかもしれないし傷つくのがイヤだとしても
やっぱり、助けて!って叫ぶことから始まっていくんだと思う。



誰かに救ってもらうことは決して弱いことなんかじゃないんだ。
弱さを見せれるのは、大きな強さなんだ。

手を差し伸べてくれる人は必ず近くにいる。


助けて!って叫んでも無視していく人だって
残念ながらいるだろうけれど助けて!っていうサインがなければ
助けたいと思っていてもあなたの痛みに気づけない人だってたくさんいる。

だから、助けを求めることを恐れないで欲しい。
人はそんなに強くなんかないから。













子供たちの腐った目が輝く瞬間がある。

子供の目が輝く時ほど、美しいものがあるのでしょうか?
あれを見たいから夜回りがやめられない。
大人は子供たちの目から輝きを奪おうとしているようにしか思えない。
子供が育っていくごとになぜ、目の輝きを失っているのか。。
叱られてばかりいて、より短所のない人間になりなさいと責められて、自分はダメな人間なんだって思ってしまう。
どこにも心休まる場所がない。








リストカットを手放したら、自分が自分であるという気がする。
自分を保つことができなくなってしまう。
生まれて来たくなかった。
性的虐待などのつらい過去は戦うか忘れるしかない。
徹底的に暴れて訴えて戦うか、わすれるために環境をかえて0からやるしかない。








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