2013年3月17日日曜日

失われた思春期を繰り返さないために





◇「両親を諦めた」を我が子に繰り返させないために



10代は親もある程度覚悟が必要な時期。
心の病や、様々な問題行動が起こりやすい時期でもある。

現在成人している患者さんであっても、最初に摂食障害などの思春期問題が発症したのは
10代だったというケースも珍しくありません。


そのような方の中には
当時は病気だと言うことにも気づいてもらえないまま、「問題児」として扱われたり、
自分の心の中だけに苦しみを押し込めて暮らしていた人も居ます。

「自分ガ親を頼らなかったから、こいつも勝手に乗り越えるだろう」という負の連鎖は、どうか、あなたでストップさせて欲しい。苦しみを受け継がせないで欲しい。





10代の子どもとかかわる上で
最も大切なことは、実は非常にシンプル。


ポイントとなるのは「自尊心」と「コミュニケーション力」です。






自尊心とは自分の存在を肯定する気持ちです。

心の病になる子どもも、非行や犯罪に走ってしまう子どもも、「自尊心」に問題を抱えていることがほとんどです。
人間は自分の存在を肯定できてはじめて前向きに生きていくことができますし、
社会とも折り合っていこうと思えるものだからです。


自尊心が高い子どもは
自分の他人も大切にすることができるのです。




自尊心と密接な関係にあるのが「コミュニケーション力」です。
自分の気持ちを分かりやすく伝えることで他人との繋がりを深めたり、
自分が求めるものを得たりしていく能力です。

自尊心が低いと「自分の言うことなどどうせ話しても聞いてくれない」と
思い込んでコミュニーション力も居てかしてしまいますが反対に、コミュニケーションを通して、相手とのつながりを感じると「自尊心」が育つ、という側面もあります。





実は、親は子どもにあまり確かなものを残してあげることができません。

いくらお金を残したとしても
この不安定な時代、どうなるかわかりません。

お金と学歴に恵まれていたからと血って
孤立して心を病んでしまえば、人生に絶望することにもなりかねません。



親が子どもに確実に残して上げられるものは何かを考えてみると、
どんな困難な状況に直面しても、自分の価値を信じて前向きに対処できる
「自尊心」と、人に支えられながら問題を乗り越えていける「コミュニケーション力」こそが
一生の財産と言うことになるのではないかと思います。











 


■自尊心の重要性

思春期には、いろいろな誘惑があります。
誘惑に駆られると言うのは
それ自体は悪いことではありません。
そうやって、新しい可能性に手を出してみて試行錯誤していくことも
思春期の大切な仕事です。
そのときに自尊心が高ければ「どこかおかしい」ということに気づきやすくなります。



一方、自尊心が低いと「自分なんて」と思っていますから
本当に破れかぶれな手当たり次第の行動をとることさえあります。

自分を満たしてくれそうな気がする方向に行ってみて失敗したら
「自分は駄目なんだ、死んでしまおう」と思い、今度は別の方向から甘い言葉をかけられるとそちらに依存しては「あの人に裏切られた」ということになるようではジェットコースターのような人生になってしまい、試行錯誤から何かを学ぶと言うよりもぶつかるたびに傷が深まるようなことになりかねないのです。


覚せい剤を使ったり「援助交際」をしたりする人たちに向かってよく言われるのが
「もっと自分を大切にしなさい」というセリフです。

言いたくなる気持ちは分かりますがこれは実は本末転倒な言葉なのです。
自分を大切に出来ない(自尊心が低い)結果として、
薬物依存などが起こってきているわけです。

自分などうまれてくる価値がなかったと思っている人
(そういうメッセージを周囲からも受け取ってきた人)に向かって、
「もっと自分を大切にしなさい」と言っても、ピンとこないのは当然だと思います。

むしろ、自分がいかに大切な人間なのかを実感できるような体験を与えてあげることが必要なのです。



自尊心が低くなってしまうと、人の思いやりをまっすぐに受け止めることができなくなります。
「どうせ私なんて」と思っていると、
人のメッセージを歪んで受け止めがちになります。
「どうせ私なんて」と思っていると、人のメッセージを歪んで受け止めがちになるのです。
こんなに価値の低い自分のことを本気で心配する人がいるわけがない、
何か裏があるかもしれないし、単なる気まぐれで、どうせすぐに愛想を尽かすに決まっていると
思ってしまうのです。













■「いい子」は要注意


過保護というのは、大人が先回りして「正解」を教えてあげたり、
代わりにやってあげたりすることを言います。

これは子どものためにやっているように見えますが、
実際は、大人が「子どもに任せておいたら失敗するのではないか」という
自分の不安をコントロールできない結果として起こります。


子どもが自尊心を豊かに育てていくためには
きちんと試行錯誤をすることが必要です試行錯誤をしないと
自分にそれなりの自信を持てるようになりません。


ヨチヨチ歩きの子どもに対して、
転んだらかわそうだから、と転ぶ前にいつも抱っこしていたら、いつまでたっても歩き方を覚えないし、
転ぶのを避けるための筋力もつきません。




心の成長も一緒です。


傷ついたらかわいそうだから、と傷つく前にいつも「正解」を与えてばかりいたら、強い心は育たない。
挫折に弱い、自尊心の低い人間になってしまいます。


過保護にせずに試行錯誤できる空間を作ってあげると言うのは
大人自身の不安をコントロールすることでもある。



親がどれほど不安か?を基準に介入するのではなく
介入が子供にとってどれほど必要か?を判断の基準に。


いい子というのは曲者です。

いい子というのはあくまでも大人から見たときのいい子です。


本人の側からみれば、試行錯誤をすることも出来なかった、ということなのです。








 

■ネガティブな感情を否定しない

感情とは、痛みのような身体の感覚と同じく、
本来は自分を守るための防御能力として人間に備わっているのだと言えます。


感情の問題を抱えている人の育った環境を見ると、
親が怒りなどのネガティブな感情について否定的だったという場合が殆どです。

怒りを感じるのは人間として弱い、あるいは未熟である証拠だと言うような刷り込みをされていて、
自分自身もその価値観を引き継いでいます。


ずっと感情を抑圧されてきたので
自分の感情を受け入れること自体が難しく、表現することなど考えられないのです。


また、虐待されて育った人や、
自分が正直に気持ちを言った結果不本意なことが起こった人にとっては、
自分の感情を感じたり表現したりするのは「危険なこと」という位置づけになります。
すると、自分がどんな感情を抱いているのかすらわからない、という人に育つこともあります。

自分の感情を抑制するどころか、自分の感情に気づくことさえできなくなるのです。

「モヤモヤしたネガティブな気持ちがあるが、それが何であるのかわからない」という状態は
心の病になる人や問題行動を起こす人に良く見られるものですし、思春期においては健康な人にも比較的よく見られます。


正体が分からなければ解決方法もわからず、その怖さから逃れようとして
過食などの病的な症状や問題行動にしがみつくこともおおいものです。



しかし、それでは現実に何も解決しないだけでなく
問題行動や病気に対して周囲がネガティブな反応をすることが多いので、
ますます「モヤモヤしたネガティブな気持ち」が増して、
悪循環が続いていくことにもなりがちです。















■子どもにとって安全な環境とは

しつけに関しては、もう一つ、重要な課題があります。
実は「しつけをきちんとすること」と「子どもにとって安全な環境を作ること」は決して矛盾することではありません。


子どもにとっての安全な環境のポイントの一つは
間違いなく、ありのままの自分を受け止めてもらえること。



二つ目のポイントは「一貫性」です。

虐待事件で逮捕される親は往々にして
「しけつ」のつもりでやった、と言いますが
しつけと虐待の境界線ははっきりしています。
その手段が暴力的かどうかということももちろんありますが
より本質的な違いは、子どもから見て一貫性があるかどうかという点です。

虐待の場合、ものさしが大人の機嫌次第(親の機嫌=相手の顔色、が自分の運命を決めてしまうという刷り込みがなされる)で変わります。


同じことをしても暴力的に怒られることもあれば、まったくお咎めなしとこともある。


そこから学ぶことは良識とか常識といったものではなく
単に相手の顔色を読むことや、主体性のなさです。





思春期に心の病気になる人は、このような家庭環境が多く見られます。


一方、しつけの場合、ものさしは子どもの側の言動にあります

同じことをすれば、
大人の機嫌がどうあれ、
いつも同じように注意されるのです。



良い厳しさとは「ものさし」がしっかりしていることなのです。
安全な環境の2つめのポイントは
この「一貫性」にあります。
自分が何を言っても、とにかく大人は聞いてくれる。
そして、大人の意見に納得できなければ反論を聴いてくれる。



大人がどこかで突然キレることなく
自分が続ける限りコミュニケーションが続く、という一貫性が、
子どものコミュニケーション力を育てるためにはとても重要です。












■母親の育て方、のせい?

どんな心の病も、生活環境の影響を受けることは確かです。
しかし、生育環境を母親一人が作り出すということはありえないことです。


もちろん、子供に対して母親が及ぼす影響は絶大で、
母親が大切な存在だということは事実です。

しかし、同時に、完璧な母親などどこにもいないということも事実です。


母親も人間ですから、いろいろな弱点があります。

そして、その弱点をわが子に向けるような形の子育てしかできなかったのはなぜか、ということを
考えていくと、けっして母親一人の責任だと言えるようなことはありません。
サポート体制がなかったり、周囲が母親を追い込むような構造になっていたりするからです。


心の病は、身の回りの人たちが
問題にどのように対処していたか?ということにも大きく影響されています。
たとえば、母親が育児に困難を抱えていた場合に
父親はそのことを批判するだけで助けようとしなかったら、子供は父親を嫌うと同時に
「人間は完璧にできないと批判される」
「人間なんて、しょせんは自己中心的で、困った人を助けないものだ」ということを学習してしまいます。

このように、人間同士の基本的な信頼感や安心感を持てず、
他人に評価を下す姿勢だけを覚えると、心の病につながりやすくなります。


子供の病気や問題行動を「母親の育て方のせいだ」と言ってしまうと、
人間は結局、助け合ったり信頼しあったりせず、
完璧にできない人を批判するだけだ、ということが再現されるだけです。












10代の子をもつ親が知っておきたいこと 
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