2013年3月11日月曜日

アダルトチルドレンの連鎖から抜け出すために




◇「苦しい生き方」の連鎖

『アダルトチルドレンの子どもはアダルトチルドレンとして育ち、親となってアダルトチルドレンを育ててしまう』
というのは、残念ながら、多くの症例から事実だといわざるを得ない。

こういう連鎖反応について書くと、まるでアダルトチルドレンが家計図の遺伝のような言われ方をする。
つまり、「生まれながらの遺伝子として組み込まれている」から逃れられないみたいな。
あるいは、感染症みたい考え方で”アダルトチルドレンが育つ粉”みたいなのが飛沫感染するかのような言われ方をする。



これにはすごく違和感がある。


アダルトチルドレンの子どもが自分達も知らずにアダルトチルドレンになってしまうのは、(物理学的な意味での)遺伝ではなく、「アダルトチルドレン(最も身近な大人≒両親)の生き方をコピーしながら成長し大人になるから」なんだと思う。




コミュニケーションの土台、価値観の基礎を作り上げる段階で、その両親をコピーしているから。
子どもはゼロから成長するのだから、かなり精巧に身近に居る大人をコピーしながら成長して人格を作り上げていくはずだ。

そして、大問題なのは、「私は、絶対に両親みたいにならないぞ!」と決意したところで、
「自分がアダルトチルドレンをコピーして出来ている人間だ」ということに気づけないままにパートナーを選び、
アダルトチルドレンに育てられたように、自分の子どもを育ててしまうのだ。

だとすると、ACから抜け出すには、
「今現在の自分を作り上げているのはアダルトチルドレンの生き方なのだ。
 その苦しくて間違った生き方をしていることを受け入れて、ちょっとずつ是正していこう」
という「自分の苦しみはACの生き方を無意識にコピーしているからなんだ」と客観的に自分を見つめることなのではないだろうか?



社会に出て行くとき(託児所とか保育園も社会ですね)私達は、誰かとコミュニケーションをする。
そのコミュニケーションの土台となっているものは何なのか?
幼い子どもは何も分からないので、一番身近に居る大人の接し方を真似しながら他人と交流していくんですよね。

その土台となるコミュニケーション(とコミュニケーションの仕方の背景にある価値観と考え方)が
苦しい生き方をする人間のものだったら、どうでしょう?
知らないうちに毒を盛られて毒に犯されながら他人との関わって生きていくことになってしまうのです。



これは悲劇ですよね。

「自分は大嫌いな両親の生き方をコピーして今の自分を作り上げたんだ…」という気づきを得れるかどうか?
そこから全てが始まるし、始まるかどうかの分岐点なんじゃないでしょうか????







■大人になって苦しみは続くAC

「生きることが辛い」という人々がいる。
確かに生きるのは辛い。
なぜなら、いろいろあるからだ。

ただ、いろいろがなくて漠然と感じていて空虚なんだけど痛みはしっかりある。
心のどこかにしこりがあって、
明るく元気に生きている人のように笑うことができない。
よく眠れなかったり、気分が晴れなかったり、落ち込みやすかったりする。
NOといえず、自分の気持ちを主張できない。
遊ぶのが下手で楽しむことができない。
自分が自分の人生を送っている実感がない。


けれど、いったいなぜ、自分がそういう人間になってしまったのか、
人と違うのか、それがわからない。



人によっては、登校拒否をしたり、拒食や過食に走ったり、
アルコールや薬物を乱用することもある。


仕事が長続きしなかったり
人とうまく付き合えない人も居るし、
家に引きこもって外に出ない人も居る。
なんとかしたいと思っても、どうにもならない。
自分がいやになってくるし、生活に支障をきたすこともある
なぜ、自分はこんなことをやっているのだろうと
自分自身でも思う。

アダルトチルドレンという言葉が世に出てから、
共感する人が増え続けている。


 


■身近な大人をコピーして自分を作り上げる

自分がACであることに気が付き、
人とどうして違うのか、生きるのが辛い原因判だったのかがわかったのだ。

私たちは育つ家庭で
親から大きな影響を受けている。
しつけや教育以外にも、
親からいろいろなものを受け取って育つ。

人格の基礎は家庭の中で築かれるのだ。
精神的な強さや弱さ、
性格、個性などを培う要素が私タイの育ってきたなかに特に親との関係の中にあったのだ。

「おまえなんか生まなきゃよかった」
「おまえさえいなければ」
親からそういわれた子供は自分が”いてはいけない存在”なのだと感じてしまう。
自分に自信が持てず、不安やおびえを胸にしまい込む。

あるいは親に気に入られようとして、
自分を抑えて必死で”いい子”を演じる。
親代わりを努める子供もいる。
何も感じないように心を閉ざしてしまうこともある。


そんな環境のなかでずっと育ったら、
どんな大人になるのだろう。




そう、アダルトチルドレンになるのだ。






一見、何の問題のないような家庭にも要素はある。

両親がそろい、アルコール依存症も虐待もなく近所からは”いいご一家”といわれるような家にも
見えない機能不全は潜んでいる。

親の情緒の未成熟、性格の偏り、そして子供の過剰反応などだ。



いい子と成長した子どもがあるとき突然、問題行動をおこすようになることもあうr。
また、結婚して家庭を持った後に、その子供に問題が現れる場合もある。
家庭内で起こったことは人にはわからない。
本人にも分からないことすらある。

問題を問題として自覚せず、普通のことと受け流しているケースもおい。
また、忘れさて居ることもある。
いやなことは思い出したくないからだ。

けれど、成長過程でおきたことは私たちの心身にしっかりと染み付いている。
成人した後も、足かせをひきずっているかのように、生き辛さを引きずり続けるのだ。





■良い手本のイメージが無いと…

私たちはみたもの、聴いたもの、体験したものしか真似ることは出来ません。
なぜなら、見ていない、聴いていない、体験していないものはイメージがわかないからです。
たとえば、母親に傷つけらえらた娘がトラウマを癒せると、
自分が母親になったときに「優しい母親」になろうと思うのですが
優しい母親に育てられたことがないので
どんな母親を目指せばいいのか、具体的にはわかりません。

結果、傷つけられた方法と同じ方法で、子どもを育てるしかなくなるのです。
おまけに人間はケチなもので、「自分には与えられなかったものを他人だけ与えられるのは許せない」と思うのです。
つまり、自分は優しくされなかったのに目の前の我が子は私(母親)の優しさを得られるんだ…
こういうとき、悲しいけれども人間は怒りが湧いてくるのだ。



■両親のコピー人間な少年期


12才ころまでは
子どもは無心で親を真似て、生き方を学び、それにしたがっていく。

親を信じて疑わない。
すべては親が基準である。

それはやがて大人になって生きていくときの大切な心の基盤になる。


しかし、親も完璧な人間ではないから
気持ちの偏りや悪い心、嘘、辛い気持ち、間違った生き方を抱えている。

子どもはそういった親の「心の矛盾」もまた、無心にまるごとコピーする。


であるから、もしも親の「心の矛盾」が大きいと
それを取り込んだ子どもは親と同じ苦しみを生きる。
しかし、苦しみを定着させてしまって耐えることに自分を麻痺させてしまった親と違って
子供は辛い生き方を辛いと感じる。だから、別の生き方を手に入れようとする。
自分をいったん、壊す。
その過程で心の病が発生する。


もちろん、子どもは無理なことを教えられているとは気づかずにそれに従う。



彼らは親を信じているし
親に教えてもらった生き方以外はありえないからだ。
自分が我慢していることすら感じない。
だから、学童期に彼らが倒れてしまうことは無い。
例外的に、あまりにもストレスが大きく耐えられなくなると
それが身体のサインとしてでるのが
チック、ゆびしゃぶり、抜毛、慢性的な腰痛などである。
抱えこんだ心の矛盾は、しかし、
次の思春期になって爆発する





 

 

■子どものときに作られた苦しみは親の責任


両親との関係に傷つき
大人になってからもその傷が癒されずに悩んでいる方はとても多い
いったいなぜ、親が子どもに与える影響はそれほどに
大きいのでしょうか。

それは小さな子どもにとって
両親、特に身の回りの世話をしてくれて
一緒に居る時間の長い母親は”世界”そのものだからです。
子どもは行動範囲が狭いですから家庭という場が自分の全てです。
守られるべき家族に心無い言動を浴びせられることは
自活できるはずのない子どもにとって耐え難い苦しみそのものでしょう。

なので、子どもの頃に作られた苦しみは
全て親の責任なのです。



無力の子どもに愛を示して育てるのか、
暴力や暴言をもって育てるのか…とkに
娘は同姓ということもあり、
父親以上に母親から直接の影響を受けやすいのです。


母親から
「本当にあんたはダメな子だ」といわれて育つのか
「あなたはお母さんの宝物よ」といわれて育つのか、
それによって子どもの心境が180度変わってしまうことは間違いありません。



■おとなになってからの苦しみは100%自分の責任

ただ、大人になってからは、苦しみを自分で克服していかなければなりません。


親の不適際を責めても謝罪をしてもらったところで、まったく楽にはなりません。
なぜなら、苦しい生き方をコピーしてしまっているから。


苦しい生き方を抱えてしまったことを受け入れて、その生き方をちょっとずつ変えていく。
それこそが、自分の責任という部分。




 




■トラウマは真逆にも現れる


「あの家系は代々、浮気性だ」
「母はいつも小言ばかり言っているけれど、祖母もよく小言を言っていたな」
など、性格やクセは遺伝すると考えられている。
まさに園と踊りで、これこそがトラウマがもたらす精神的遺伝の結果。
そして、トラウマは両極端に結果が出る、ということを忘れてはいけません。


たとえば、母親が不倫をしている姿をみながら
育った娘さんが子どもながらに
「母は自分よりも、ボーイフレンドの方が大切なんだ」と感じ取ったとしましょう。

すると、その娘さんの潜在意識には「結婚しても他に好きな人がいて当然」
「子どもよりも好きな人を優先して構わない」という情報が刻み込まれます。

潜在意識というのは
過去に経験した出来事や感情がなどが収められいる大きな貯蔵庫と考えてください。


一度、潜在意識に刻み込まれた情報は自動的に同じような状況を現実化してしまうので
この娘さんは大きくなったら母親と同じように不倫をする可能性が高い一方、母親が不倫している姿を見て、
「絶対に母のようにならない!」と心に固く誓った場合、娘さんは大人になっても浮気など一切せずに
夫に尽くす女性になりますが肝心の夫が浮気性で自分よりも愛人の方を優先するなど、
今度は不倫をされる立場になってしまう。


結局、子どもの頃と同じこと(自分は2番目という立場に置かれる)で悩まされるようになる





■良いことも悪いことも、エネルギーを注いだほうが現実化する

なぜそんなことになるかといえば
「絶対に母親のようにはならない」と誓っても
いったん、潜在意識に深く刻み込まれたネガティブな感情は癒されるまで居座り続ける
からです。

さらに、物事は良いことでも悪いことでも
エネルギーを注いだほうが現実化します。
ですから、母親を反面教師として
「母親のように家族を大事にしない人には絶対にならない!」とネガティブな思考にエネルギーを注ぎ続ける限り、
娘はこの嫌な状況を現実化してしまう


 

 

■両親の不仲は人付き合いの下手な子供を生み出す


普通の家庭でも、子どもの心が傷つくような出来事は数々起こる。
父親と母親の仲が悪い、ということだけでも
子どもの心は大いに傷つくのだ。
両親の仲が悪ければ家庭の中には緊張が走り、
不安定で不信感に満ちた空気が流れる。
子どもの心が不安定になる。
子どもにとって家庭は安らげる場所ではなくなる。


いくら昼間は学校へ行っているといっても
他に行く場所の無い家庭が不穏な場所だとしたら、
家庭に居る時間はもちろん、放課後が近づくにつれて
徐々に言われようの無い不安感や疲労感に襲われても
無理は無いのではないだろうか。


また、夫婦の仲は、
人間関係の基盤として子どもに影響する。

夫婦仲が悪いと人間同士の暖かい交流を間近に見る機会がなくなる。


人がどのようにいたわりあうのか、話し合うか、理解しあうか、
愛し合うか、子どもは見なければわからない。親がそれらを持たなければ
子どもはそうしたネガティブな人間関係を学んでしまう。
ののりしあったり、いやみを言ったり、無視しあっていれば、
子どもはそれを見て、人間とはそういうふうにつきあうものだと思ってしまう。


人とは敵対しあうものという認識しか持てず、
信頼関係は結べなくなる。
人が一番最初に出う人間関係は親子関係であり、
両親の相互関係であるから、
人間関係の基礎は過程で育まれる。
それを身に付けて、成長していくのだ。




 


■共感不足はイライラする


親から見捨てられたかどうか分からない?
じゃあ、自分の考えや主張を親から認められてきたか、はどうでしょう?
あなたは、そのときそのときの気持ちや感情を親から
「あなたはそう思っているんだね」「そう感じているのね」と認めてきてもらったでしょうか。
むしろ「分かってもらえない」「言っても無駄」と思ってきたのではないでしょうか?
実のところ、家庭で暴力があるなしに関わらず、
実に多くのACの人が
親から共感されずに育ってきているのです。
人は共感されないと腹が立ってくるものなのです。
共感されることなく育ってきた人が
やり場のない怒りやイライラを抱えていたとしても
それは何の不思議もないのです。

 

■共感を返してもらって自分は形成されていくから…


衣食住に困ることがない。
いつも美味しいご飯やおやつが用意されている。
申し分のない養育環境を整えてくれていても
心理的には誰からも寄り添ってもらえなかった。

いつも1人ぼっちだった。味方がいなかった。
それが当たり前だったから、寂しいとも思わなかった…。
というよりも、
自分が寂しいと感じていることさえ分からなかったし
寂しいということの意味さえわからなかった。

幼少期の虐待、暴力がなかったとしても
そこには見も凍るような無関心があります。

ACとは、この親の無関心によって自己肯定感を育てられなかった人たちなのです。
そのために、ACは自分を価値あるものとする自己評価が大変低くなっています。
自分に価値がないと思えば
人と接することが苦手になって当然です。



■親の生き方に修正を迫る思春期の「心の病」


思春期のつまずきは親からの自立を遂げられない苦しみである。
親が抱えていた心の矛盾が大きければ大きいほど、子の我慢は大きく、自立には時間と労力を要する。


苦しい生き方を強いられた子は思春期になって苦しみを訴え、
生き方を変えたい、助けて欲しいと親に迫る。


しかし、多くの親はその訴えを理解しない。


なぜなら、親は長い間続けてきた自分の生き方に疑問を持っていないので
子どもが何を訴えているのか見当がつかないのだ。


子どもが「辛い」と訴えれば親は自分の人生観から
「あなたは我慢が足りない」としか応えられない。


親から見ると、子どもはただ「わがままをいい、親に甘えて」自立していないように映る。


親は「そんな子に育てた覚えは無い」とイライラし
子どもは「親がいけないんだ」と言い返し、親子対立は激しくなる。


子どもはわかってもらえない…と落胆し、怒りの気持ちをどこに持っていったら良いかわからなくなる。
そうして、彼らは最後の手段に訴える。



そう、それが「心の病」である。



一連の精神疾患、およびその症状的行動(リスカ、うつ、過食など)は
親から引き継いだ「心の矛盾」が子の中に生み出した「病」である。

と同時に、教わってきた生き方を修正するために子どもたちが始めた抗議行動であり、
親子関係をみなすためにとったぎりぎりの手段である。




ここまでしないと、親は訴えを聞いてくれない。
振り向いてくれない。
子の苦しみは
親から受け継いだ苦しみである。
だから、親の苦しみでもある。
十数年間、無心に親に従ってきた子は
心の深いところで親と一緒に治りたいと願う。


親が生き方を修正して親自身の苦しささえ取ってくれなければ
自分の苦しみも取れない、と知っている


思春期は子どもにとって人生最大の危機ではあるが
それは同時に親子関係の危機でもある。
しかし、その危機を脱する過程で
子どもだけでなく、親も替わる好機が訪れる。



 

■心についた傷は、いくらでも治せる


親の接し方が子どもの将来に影響するということです。
しかし、親から受けた育てられた方に不満がある人でも
諦めないで大丈夫。

おとなになったあなたなら
自分で潜在意識のレンズについた傷を綺麗に修正することができます。

人間は、成長するにつれて心のキャパシティを大きくしていけるもの。
子どもの小さな心で捉えていたときは大変だったことも
大人になって振り返ると「なんだ、それっぽちのこと、なんてことないや」
で済む場合もあります。

「自分が親の立場でも、同じように接していたかもしれない。仕方ないよ」
と、親の気持ちを理解して、許せてしまえることもあります。

大人になって考えたら、解決できることのほうが絶対的に多いのです。


間違って記録してしまったら潜在意識のデータも、
大人になれば自分次第で修正できるのですから。

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