2013年3月15日金曜日

機能不全家族に自己肯定感を奪われた貴女へ




◇傷ついた心の世界観




私には私がいないんです。
昔も、今も。





返事いらないよ!
一方的にメールする。
今日あったこととか
その日の気持ちとか
切りたくなった時も。
そのかわり、ちゃんと読んでね!
このメールがうちの存在証明だから






今日、助けてって思った
何からか助けて欲しいか、自分でもわかんないケド…
誰かに話を聞いてほしかった





いつまでも過去をひきずっていても仕方ないのも
わかっているけど引きずっている自分がいる
そんな強くなれない自分に腹が立つ





私は全然弱いのにみんなに強いねって
言われるから、余計に弱音が吐けなくなるんです
自分がそういうイメージ根付かせちゃったから悪いんだろうけれど。
それで誰にも心を開けなくなる。自業自得なんですけどね。
私だって寂しいし辛いし毎日やっと生きているのに。
そう周りから見えないのは良いことなのかもしれないけれど
本当の自分がなくなっていく






どんなに血は流せても
涙は流せない子が多い
優しすぎるのに自分には厳しいから
認めて受け容れられないんだよね


















 

■自己愛障害の母親に育てられたら


自己愛性パーソナリティの人は
自分の正当性を主張し、また自己アピールが非常に上手いので、事情を良く知らない第三者は、
その人の言うことを鵜呑みにしてしまいがちである。

このタイプの人は、世間的には見栄えがして、立派で魅力的に映るので、なおさらである。
子どもの方が「お母さんを困らせる」とみなされることが多い。

自己愛的な母親に見られやすいのは、子どもを思い通りに支配しようとする傾向である。

母親の強いコントロールを受けて育った子どもでは、ストレスフルな状況に出会ったとき、
うつや不安、ひきこもりや自傷といった内向性問題行動が生じやすい。
また主体性が侵害される結果、子どもの主体性の希薄な自分に自信のない人間に育ち、
回避性の傾向や依存症、境界性の傾向を示すか、やはり同じようなナルシズムを発達させることで自分を守ろうとする。

不思議なことに、本当の愛情も与えられず、心理的に支配され、実質的には精神的虐待を受けたにも関わらず、
自己愛性パーソナリティ障害の母親に育てられてきた子どもは、母親を理想化し、母親に認められようと、
涙ぐましい献身をすることが少なくない。




 

 

■自己否定感と、大人社会への不信感



街にたむろする若者の中には居場所や行き場所がなく、
頼れる保護者がいない実情がある。

保護者に”いらない存在”として扱われてきた心の傷は深く、
表面上は屈託なく笑顔で話していても、
心のうちには
「生まれてこなければ良かった」「生きていても仕方がない」という気持ちが溢れている。


同時に、家庭環境を要因とした別の生きづらさも抱えている。

親自身が生活苦や社会からの孤立などの問題を抱えてきたため、
親をモデルとする対人関係のとり方や社会性を身に付けることができずにいた。
年齢相応の社会経験もつんできていない。

なによりそうした若者をいちばん生きづらくしているのは
”つらい状況から救ってくれなかった社会や大人に対する不信感”だろう。

不信感を持つと、人に助けを求めることができなくなる。


何重にも重荷を背負った子どもたちが10代で家を飛び出し、
繁華街に出てきて出会うのは
”つながりを絶たれた子”を利用しようとする大人たちだ。

もともと安心できない環境で育ってきたためにどんなに苛酷であっても
生きるために彼女たちは受け容れる。

それ以外に方法も知らない。

とくに、女の子は身体を商品にすることで簡単に稼げてしまう現実がある。

彼女らの根っこには
「自分には身体を売るくらいしか出来ない」という
強い自己否定感がある。


「自分は生きていて良いのか?」という根本的な自己肯定感を持てない彼女。

援助交際を繰り返す少女たちのなかには
「一瞬でも人の温もりを感じたい」という愛情飢餓からそうした行為に
向かっている子もいる。

そのような女の子たちには望まない妊娠の危険が常にあり、
生活の困窮や知識の不足などから誰にも相談できずに出産を迎えてしまうことも少なくない。













 

■自分じゃダメで、そうしている間に自分を失った


立ち止まったらダメだと思った。
そしたら働けなくなるって思ったから毎日、一生懸命働いた。

そしたら私自身の仮面が厚くなりすぎてつくりすぎちゃって、
どれがほんとうの自分か、何が本当の自分か、
わからなくなってしまった。
どれが本当の自分か、わからないから怖い

本当に苦しいとき
悲しいとき、辛いとき、死にたくなるとき、
そんなときって人には話せなくて「ねぇ、ねぇ、聴いてよ」ってこの一言がいえない。
誰かに話したくて聴いてもらいたくて
私の存在を分かってもらいたくて認めてもらいたくてしょうがないのに…





 

■性的虐待を呼び込んだのは私?


私の身体を求めてきた街の男たちと
おんなじ顔していた、お父さん。
お風呂に入ってくるのも、こんなこと普通じゃないって中1だし、わかってたから余計に誰にも言えなかった。


彼氏ができて、初体験を迎えて、幸せのはずなのに、汚い行為としか思えなかった。

なんて、一緒に居るだけじゃダメなのかな?って。
でも、好きだったから、求めてくる彼を仕方なく受け容れたけど。

あの日から毎日、お風呂から出たら、部屋に連れていかれて、
押し倒されて、いれられた。



SEX…。彼氏とおんなじことを私にした。


避妊なんてしなくてお父さん、私の中で出してた。
私とお母さんに暴力を振るっていた時と同じ眼をしていた。

特に私は人間じゃなくて玩具みたいに扱われたよ。




逃げたくても逃げる場所なんてないし、
これ以上、ひどい眼に合わされて、殺されるって思ったら逃げられなかった。


夜が怖くて、眠れなくなって、精神科に通って
睡眠薬を処方してもらったけど
家の中がまったく安心できないから、恐ろしくてたまんなかった。

朝になったらまた夜が来るんだって。


学校では異常に明るく振舞った。

勉強も下から成績も良くて
学級委員やって
先生からも友達からも人気があったし。
友達には「悩みなさそうで、いいなー」って言われるたび、ショックで。


地獄の方がマシだっていうくらいの日々を
過ごして居る本当の私なんて知らないくせに…って。
こんな毎日が6年間、続いたんだよ。


ただ、お父さんだけど、男の人なんだよね。
私は普通の父親はわからないけれど
普通じゃないことさせた自分が悪いんじゃないかなって思っちゃうの、全部。
私が男に生まれたらよかったのにって思っちゃう。

なんで生きているかって、きっと、
私は親のために生きているんだろうね。

親より先に死ぬのは親不孝だと思うから、
先に死ねないだけ。
親が死んだら、次の日に死んでもいいって思ってるし。

小さい頃から親に気に入られるようにいい顔見せて生きてきたし、
親の勤めを果たしたなって満足して親に死んでいってもらいたいから、ただ生きているんだよね。。。


親の前では自分のおもっていることを
口に出したり、行動に出してはいけない、親が満足することだけをしていればいいと、幼い頃からずっと思ってきた。

「自分」という存在を消しながら、
自分の感情を否定して生きてきた。
だれを信頼していいのかわからなくて
自分で自分を責め続けて、傷つけて、今も死の隣りあわせで生きている。



いい子にしてたよ。
ずっとずっといい子をしてきた。
親を気持ちよくさせるために頑張ってきた。
私は親を優越感に浸らせるためだけの道具。

道具に心があってはいけないんだよ。
だから心を殺して生きている。



でも…
道具もいつか壊れるんだ
もう半分壊れ始めている。




壊れちゃうと100%の役目が果たせなくなるんだ
だから捨てていい…
今まで道具としてでも使ってもらえたこと
感謝するから。
でも、こんなにすぐ壊れちゃうなんて
ポンコツな私でごめんなさい

私は道具として生まれた。
でも力不足。

ごめんなさい、ごめんなさい…





 

■存在への不安は幼少期に根付く


人は、さまざまな良くないことを予期して不安になる。
自分の弱点を意識している人は
その弱点が人目にさらされるのではないかと
いつも怯えている。
弱点がばれたらどうしようかといつも不安である。

人と会うときに、相手から悪く思われないかと不安になる。
いやな目に会うのではないかと不安になる。
自分の立場や考え方を主張した後、
でしゃばりと思われたのではないかと不安になる。

人は自分の価値が脅かされると不安になる。
また、人は見捨てられる状況で不安を感じる。

見捨てられることが不安になるのは
人がみんな寂しいからである。

いやゆる「良い子」は親の前では不安である。
いつもびくびくしている。


それは自分の言動で親がいきなり怒りだすからである。
親が機嫌がいいときでも
いつ怒り出すかと不安である。

従順が身についたいわゆつ「良い子」は
大人になってからも
何をするにも人の許可を得ようとする。
許可が無いと不安なのである。


実際の自分より自分をよく見せてしまった者は
いつも不安である。
仮面の奥の「実際の自分」がばれたらどうしようと不安である。






 

■基本的安心感の欠如は緊張を生み出す



ありのままの自分が親に受け容れられている、という基本的な安心感があるかないか、
それはその人の一生を支配しかねない。



小さい頃周囲の人に受け容れられなかった人は
大人になって周囲の人に受け容れられていても受け容れられていないと感じて身構えている。



大人になって世界が変わってもどうしても自分の感じ方を変えられない。
身体は会社で働いているようであるが心は小さい頃の環境にいるのである。


基本的安心感がある人は自分が自分自身であることを喜べる。
相手の言うことに「ノー」と言っても捨てられないと言う安心感がある。
基本的信頼感が無い人は他人の顔色を窺う。
「ノー」といったら、捨てられると言う不安感がある。


相手を信頼していれば、いちいち相手の顔色を窺わない。
基本的安心感の無い人は
相手の顔色のほうが実際の自分の欲求より大切である。
それは拒否されて孤独になることをおそれているからである。


実際には孤独にならないのに。

実際の自分ではいけないのだから
周囲の世界を脅威に感じるのは
当たり前である。







 



■期待に答える事だけが生きる意味だった



ストレスの最大の原因は「こうしなければならない」と思い込むことである。
そうなれば、「もし、こうでなければどうしよう」と不安になる。
「こうできなければ」失敗である。
そうなれば人は誰でも「失敗はしないか?」と不安になるだろう。

失敗すると何が起きるか?
まず、その人が考える「人の期待に応えられない」ということである。

小さい頃から人の期待に応えることで生きてきた従順な人は
もの凄くストレスが強い。

自分自身の喜びの体験を味わってこないで
人の期待に応えることだけで生きてきた従順な人は
人の期待に背くことが怖い。

それは、小さい頃から自分自身の喜びの体験を大切に生きてきた人には
想像も出来ないほどのストレスである。

愛されないで育った人は
「人の期待に応えなければならない」という思い込みで苦しむ。

時には期待されていないのに期待されていると感じてしまう。

そして、「もしかして、人の期待に応えられないのではないか」と思うとそれだけで血圧があがる。




 

■小さい頃の恐怖と決別する!!


では、なぜ実際の自分ではいけないのだろうか?
なぜ、他の人は「実際の自分」で良くて
あなたは「実際の自分」ではいけないのだろう。

周囲の世界が敵意に満ちていると感じるのは
あなたの小さい頃の脅威の再体験なのである。

もしあなたが毎日、人が自分の事をどう思うか不安であるなら
毎日「周囲の世界は怖くない」と自分に言い聞かせることである。

取り巻く世界が変わったのだから
あなたは自分の内側もかえていかなくてはならない。

つまり、現実に即した感じ方をするように
あなたの脳の回路を作ることである。 





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