2013年3月3日日曜日

片親と離婚とが子どもに与える影響




◇2chの片親掲示板を元に考えてみる


12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:12:49.63 kkjGCmNb0
死別で片親になった場合は結構まともに育ってることが多い
親がズッコンバッ婚の挙げ句離婚してる様な家庭の奴は・・・



13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:13:33.87 QK6YAqC40
離婚してる場合の片親は間違いなくクズ


15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:15:31.06 FJSZT+nW0

父性を知らないんだから当たり前


16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:16:22.49 3AbzQS770
でも親しい友人には片親が多いんだ

深層で優越感にでも浸ってんのかね俺

18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:17:30.79 q8fQ+Yk40
母親だけの男女ははどんな風に育つんだ?

20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:22:59.80 3AbzQS770
>>18
女はワガママ、男は苦労人なイメージ

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:31:48.40 ID:9TCfMeFmO
母親のみの一人っ子はマジで最悪
女はわがまま、家事しない、浪費癖、キチガイ
男は難題から逃げる、人とつるみたがる、自己管理できない
そんな感じだったな

32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:37:41.51 O3370AKNO
>>27
片親の知り合い全部当てはまってるわ

77 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 11:31:21.03 ID:KX4YrHVXI
母子家庭の場合
男→意外に頑張ってるやつ多し
女→母親と友達みたいな関係になり、馬鹿に

25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:27:15.23 FThzXvRx0

水商売やってる女の片親率は異常

71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 11:26:36.83 ID:UNTf7gWv0
自分の親を憎んでる状態で自分が親としてちゃんとやっていけるわけがない

44 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 10:57:08.06 LKrRzy4j0
うちの嫁は両親いない
だから時々びっくりさせられることがある

48 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 11:01:12.44 QhOsSlDl0
>>1
わかる
今までで二人の片親と付き合ったけど絶対なんか一悶着あったわ

62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 11:19:43.86 T9hCob8P0
人間に大事な何かが欠落してる

68 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 11:24:48.74 f/z61LAlO
父子家庭の女は頑張り屋の子が多い

81 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 11:38:04.88 I43uzfq20
片親の男だと自立心あるリア充になるタイプが多い
なんでだろう

89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/18(月) 11:46:12.75 GlNYsogN0
そういう女と3人付き合った事がある俺の印象

・愛情の受け皿がザルで常に愛されてると感じていたい

・基本的に人を信じておらず表裏が激しい
・体で繋がるような関係がなければ不安でしょうがない






 

■子どもの情報教育のためには離別より死別


死別は「お父さんはお前を愛していたよ」と嘘をつくことで
子供の自尊心を守ることが出来る。
本当のところは同であれ、存在しない人間を美化して子どもの心を守ることも大人の勤めであるはず。

しかしながら、
大人側が自分ガうそつきになるのが嫌なのか子どもの心を守る気がないのか分からないが、自分が抱えるより子どもに抱えさせることで救われようとすると、子どもの心が廃れていく。
(あるいは強靭な精神力を持つ源になる可能性もなくはないが…)


研究データの結論として言えることは、
問題は独り親という家庭構造そのものではなく
両親の関係性、子どもとそれぞれの親との関係性だということです。


離婚したことを正当化しようとして別れた相手の悪口を言うのではなく
「夫婦としては一緒にやっていかないほうが良いという結論に達したけど
 あなたの親としては尊重する」という姿勢をとったほうがはるかに良いのです。



 

■母性生→父性性が正しい


母性生が十分機能していないのに父性性を働かせるのは不可能。
母性性という保護的な力によって基本的信頼感が育った上に
父性性によるルールが与えられることで有効に機能します。


基本的信頼感があれば、注意やしつけや、大きな声や強い口調で言わなくとも
子供の心に届きます。

しかし、それがないと、いくら言っても子供は言う事をきくようにはなりまsねん。
むしろ不満や不信の気持ちを強く持つようになります。
したがって、母性生の欠けた家庭で育った子供は
保育園でも次々とルール違反をします。
保育士に母性生を求めるために
必要以上に自分をアピールしようとするのです。





 

■「あなたたちがいるから」


春香さんのことは、父親に従順なこときにはほめてくれ、
「母親みたいなくだらない女になるな」などと言います。

春香さんは基本的には母親に同情的で
「親父なんて家に帰ってこなくて良い」と言っています。
自分勝手に母親の事をこきおろし、酔っ払って大声を出す下品な
父親が大嫌いなのですが、だからと言って、
母親を全面的に肯定することも出来ません。

「離婚すればいいのに」と言っても、
「あなたたちがいるから」「世間体があるから」「離婚したら食べていけないから」などと良いわけをしては離婚しようとせず、不幸なため息ばかりついている母親は、とても尊敬できないのです。


自分たちさえ生まれていなければ母親はとっくに父親の元を去ることが
できていたでしょうから、「私たちが母の人生を奪ってしまった」という罪悪感を
強く持っています。
母親を今のような「情けない」存在にしてしまったのはほかならぬ自分なのだ…
と考えると、さっさと母親を見捨てて家を出ようという気にもなれないのです。


このような家庭に育った娘たちは、女性として見本にすべきモデルがわからなくなります。


母親のように男性に依存した存在にはなりたくない、
自分自身のキャリアをしっかりもちたい、と思う一方で
母親のように男性に捨てられたくない、
男性に愛され続ける女性でいたい、
と思うわけです。

人と人との親密さを外的条件からしか考えることが
できないため、やせて完璧な外見を手にすれば全てが解決するのではないかと
思ったり、誰にも「ノー」と言えないかったり自分の身体の不調を無視しながらも
相手のニーズに応えようとする「スーパーウーマン症候群」になって、
自分の限界を超えてしまい、病気に繋がっていくことにもなります。


 


■子どもの罪悪感を刺激しない離別を


多くの人が離婚をためらる理由の一つに「子どもがいるから」をあげます。
また「両親は自分がいるから離婚できない」と子どもが罪悪感を抱くような環境もまた、問題があります。
ですから、離婚のどの部分が子どもにどういう影響を与えるのかをよく知って適切に対応することが重要です。

今まで一緒に暮らしていた一方の親がいなくなります。
それぞれの親との関係性が変わり、
場合によっては一方と、ずっとあえなくなるということもあります。
兄弟で別れ別れになることもあります。
それまで「普通の家庭」だったのが「特殊な家庭」になります。

周りが自分を見る目も変わります。
転居を伴うことも多いです。
姓が変わる子もいます。


このような変化は、どんなタイプの離婚であっても必然的に経験しなければならないものですが
これらは実は、子どもの心に深刻なダメージを残る性質のものではありません。

確かに大変な変化ですが子どもは半年から一年で
この変化にだいたい適応するということが知られています。
つまり、大切な人が亡くなったときと同じで
時の経過と共に癒える性質のものだということです。

ただし、という条件があります。
こちらの方が重要です。
両親の不仲が離婚後に持つ越されなければ、なのです。


離婚によって両親の不仲が終結する場合には離婚後一年以降は
子どもの発育に殆ど問題ない、という研究結果も発表されています。

問題は、両親の不仲が離婚後に持ち越される場合です。
お互いの悪口を言い続ける、
「悪い親だから」と、会うことが決まっている日に会わせない、
子どもが悪いことをしたときに
「あなたは別れたお父さんにそっくり」などと
もう一方の親を引き合いに出して責める、
などということは
子どもの成長を損ねます。


子どもにとっては、どんな親であっても親として重要な意味をもっています。
子どもはどんな親であっても喜ばせたいという気持ちを持っているものですし
嫌な親であっても人から悪口を言われるのは嫌なのです。

その親同士がお互いの悪口を言うのですから大変です。

解決しようとすることはどちらかの「肩を持つ」ことになってしまい、
子どもは身動きが取れなくなってしまう。

子供によっては同居している親の肩を持ち、別居している親に愛情を感じることに
罪悪感を抱き過剰に嫌う態度をとる、などということも起こってきますが
子どもにとって自分の親に愛情を感じることに罪悪感を
覚えなければならないという構造は自尊心の低下や様々な精神的な問題につながります。

両親の間にはさまれてしまうと
子どもは悩みを自分で引き受けざるを得ません。
うつ、不安、いろいろな身体症状が出てきたり
性的逸脱や非行など様々な問題がでてきたいるするのはこんなときです。






 

 

■子どもとしての時間を与える


離婚後、子どもが居なくなった親の役割を代わりに果たそうとすることも
一つのリスクです。
この傾向は特に、自分と同性の親を失った場合には強くなると言われています。
母親と息子の家庭は息子は父親の役を担おうとし父親と娘の家庭では
娘は母親の役を担おうとするのです。
もちろん、家事を手伝うなど物理的に子どもの協力が必要な
部分は協力してもらうしかないのですがそれでも子どもは子どもです。

子どもとして、親に支えられて安心していられる時間は
健康な成長のために必要です。


また、将来適切な親離れを可能にするためにも、
「親は親、自分は自分」という感覚を育てていくことが大切です。

遊びや甘えなど子どもとしての時間が持てるように配慮し、
また折に触れて
「親に気を遣わずに自分の事を考えて良い」というメッセージを
伝えてあげたいものです。

親自身、余裕がないことが多いですし
子どももそんな親に気を遣ったりしてしまって
気持ちの表現を控えてしまいがちです。
また、それまでは普通に話していた友達にもどうせわかってもらえないだろうと思ったり
同情されたくないと思ったりするため
自分の悩みを話さなくなってしまいます。


この時期の子どもはとても複雑な気持ちを抱えていますから
「何でも話してね」というアプローチだけでなく
ただ一緒に時を過ごすというような体験も役に立ちます。
一緒に何かの活動をしてあげると
安心感を抱きますし
場合によっては気持ちの一端を話してくれるものです。

また、「子どもをそっとしておきた」という気遣いの結果、
本当の事情を子どもに殆ど知らせない、
ということがあります。
小さな子どもであれば、理解可能な年齢になるまで脚色した話を伝えるというやり方が必要かもしれませんが
思春期の子どもは理解力もあるしうそが嫌いです。
本当の事情を知りたいかを尋ねて、
子どもが知りたいといったら
話してあげたほうが良いでしょう。




 

■親自身の心をケアする

離婚後も子どもは特に同居する親との関係の中で成長していきますので 
親の精神状態はそのまま子どもに影響を与えて生きます。

離婚というときには親も常に冷静で余裕を持っていられるということは無いはずです。
そんな中では
どうしても感情的になってしまい、
子どもとの関係性がリスクに晒されている時もあるはずです。

子どもに対して感情的になってしまったときは
そんな自分を責めて内向きになるのではなく、
「まだまだ精神的に不安定でごめんね。だんだんよくなるからね」と
素直に謝った方が
子どもとのつながりを促進します。

また、子どもだが問題行動をとる様なときには
頭ごなしに叱ったり
「こんなに大変なときなのに」と責めたりするのではなく
「あなたも色々と大変な時期なのね」と言ってあげると
子どもは受け容れられていると感じて
前向きな変化に繋がるでしょう。

また、離婚した親(特に母親)を
「子どもがかわいそう」「自分勝手」と責める人がいますが
それが親のストレスを増し、
結局は子どもの生育環境を損ねることは言うまでもありません。

 


■自己中心の生き方では、人を信じることは出来ない


援助交際する少女は例外なく
「誰にも迷惑をかけていない」と、
こういう言い方をする。
けれど本来は
子どもたちは親や大人に対して
安心して迷惑をかけながら、
いきてこなくてはいけないと思う。

人間は誰も、他の人の迷惑をかけて生きている。
それと同時に迷惑をかけられることにも平気にならなくてはいけないのです。



ですから、誰にも迷惑をかけていないと思っている人は
もしかしたら、周りの人にすごい迷惑をかけている人かもしれない。
ですから、本当に自律している人というのは
うんと迷惑をかけることが出来る人をたくさんもっていると思います。
自律とは相互依存であって
相互依存を通して自律することが
個の確立につながるのです。
それなのに現代人は
だんだんと他人の迷惑を引き受けることができなくなっている。
子どもの困難な問題ばかりでなく
親自身の困難な問題も、自分で引き受けることをしなくなった。

孤独や孤立の裏側は自分勝手さでしょう。
人間というのは孤独になればなるほど人を信じる力が弱くなり、
自分勝手で自己中心的になっていくものです。
自己中心さが実は孤独さの現われだと思います。

自己中心的な人には相手が寄ってきませんし
自分の方も人と交際する力が弱くなっている。

以前、拒食症の女の子が
「信じられるのは自分だけだ」ということを言っていた。
その子の母親も「信じられるのは自分だけだ」と
口癖のように言っている。
けれども、自分だけしか信じられないということは
本当は自分の事も信じられないということなんですね。
ようするに、だれもしんじらrねあいということです。
究極は
自分も信じていないということなんです。
誰も信じられないということは
自分を信じてくれる人がいなかった、
自分を愛してくれる人がいなかったということなんです。

そういう人たちは
自分自身が人を愛する力が弱いということを
わかりたくないために
自己愛的に生きようとしてしまうのでしょうね。



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